昨今は、何事の業務でもマニュアルありきです。思い起こせば、この様なマニュアル(手順書)は、ファーストフード店当たりの出店が切っ掛けとなった様に想像されます。「いらっしゃいませ」の言葉から注文の復唱など、そして厨房作業も総てマニュアル化がなされているのでしょう。
ところで、クルマの修理についても、修理書というマニュアルがあるのですが、30年近く昔のものと昨今の電子マニャルを見比べると、昨今のものはスキャンテスターのコードを点検するとか、さもない当たり前の言葉の羅列が多いだけで、中身のないものの様に感じられます。これに比べると、昔のものは言葉少なめですが、実作業を示す写真が掲載されており、読まなくても一目瞭然ですし、何よりも実作業をやってみて試されていることが判り、ある意味で真剣に作成がなされている様に思います。
現在の修理書(マニュアル)が、何故にこの様になるのかと云えば、作成者は実作業を行わないで、頭の中で思考しパソコンの前だけで作業しているからかもしれません。しかも、その作業者の熟知のレベルは決して高いものでなく、素人同然のただ知識として知っているだけというものの様に想像されます。
クルマの修理書のことを記してきましたが、保険会社に所属するアジャスターにも、マニュアル化の波は及んでいます。これらマニュアルについて、総ての会社のものを見た訳ではないのですが、想像するに何処の会社のマニュアルも大したものでないことは、確かなことでしょう。しかも、マニャル化において、処理方法を規定することは、企業としての品質管理上も必用なことは理解されるのですが、あまりにも硬直化した運用は、正に官僚化の最たるもので、マニュアルの規定を達成するためだけの、無駄な行動だけが生み出され続けてしまいます。
ある行動を規定化する場合、ある意味での型に入れるという規定は品質上も必用なことなのですが、実務能力の欠けた担当者がマニュアルの作成作業を行うと、実務との乖離を常時生じるという大きな無駄が生じます。そして、業務監査等において実務能力の欠けた監査者は、マニュアルの欠点を気づかぬまま、被監査者への是正を求め続けるのです。
しかし、この様な下らん業務監査を受けて、安易に納得したり、してないのかもしれませんが何ら異議も唱えずに従い過ぎる者が多すぎる様に思います。もし、指摘に疑問を感じたとすれば、問い質し説明を求めると云う思考を持っている者が少なすぎる様に思います。