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原爆投下に躊躇はなかったのか

2020-08-28 | コラム
 Net報で見たロシア外相の発言(下記)だが、広島、長崎と立て続けに初の原爆実戦使用を強烈に非難している訳だ。

 日本は広島、長崎と2つの原爆を落とされた。伝え聞く話しとしては、原爆の原理は日本でもドイツでも判っており、それなりの研究は進めていた様だ。そんな中、米国(イギリス、カナダも参加)は圧倒的な国力(予算)を注ぎ込んで原爆開発(マンハッタン計画)を突き進め、1945年7月16に最初の原爆実験、8月6日に広島にウラン原爆を、8月9日に長崎にプルトニウム原爆を投下と相成ったという。しかし、少なくとも開発関係の首脳陣は、実験データなどから、おおよその人的、物的威力を見込んでいただろう。そして、目標値に広島、長崎を決定したのも、それなりの理由があり、見込む損害も、おおよそのところは承知の上だったと想像できる。

 ここで思うのは、軍事基地を目標にするのではなく、明らかに一般民間人を対象に、10万人規模で死傷することを承知で、ことを指令するについて、躊躇(ちゅうちょ)はなかったのだろうかということだ。

 これについては、従前から様々な意見を聞きかじって来たが、使用後の批判は聞くが、実戦での使用に際して、(それを知るのは限られた者だが)躊躇といった言説には触れたことはない。そんな思いで、原爆投下に関わる米大統領(開発命令はルーズベルトだが1945年4月に死亡、投下はトルーマン)周辺の人物達に関する書籍を2冊ほど読んでみた。この読書によれば、無人島などに落として警告を与えてはという、人間に対して躊躇する意見は、極一部の科学者から出されたもので、ほぼ無視されている。その他大統領以下、完成したら即実践に投入することを目指していたことを知る。しかも、何が何でも落としたいがために、日本の降伏宣言を抑えよう、遅らせようと工作していたことを知る。これについては、以下の背景があった様である。
1)ソ連(現ロシアに対する牽制と世界に対する武力の誇示
2)実証実験としての価値(終戦直後から熱心に損害状況を調査している)

 原爆投下の実戦使用は、この1945年8月の2発が初で、以後行われたことはない。しかも軍事基地を対象としたものでなく、一般大衆を目標としたもので、広島と長崎で合わせて20万名という死亡者を与え、現在でも生きている者に後遺症を与え続けている。
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原爆投下で米批判 対日参戦は正当化 ロシア外相 8/6(木) 17:46配信 時事通信
 【モスクワ時事】ロシアのラブロフ外相は6日、広島原爆の日に合わせて平和記念式典の参列者向けに声明を出し、米軍の原爆投下を「武力の誇示であり、民間人に対する核兵器の軍事実験だった」と批判した。
 
 ラブロフ氏は「米国は広島に原爆を投下し、3日後には長崎にも投下した。罪のない民間人の痛ましい死は今日に至るまで地球上の多くの人々の心に痛烈に響いている」と指摘。「米国はこの種の大量破壊兵器を使用した最初かつ唯一の国だ」と強調した。

 一方、第2次大戦の旧ソ連の対日参戦については「中国と朝鮮を解放しただけでなく、日本に軍事行動継続の動機を失わせた」と正当化した。

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