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【過去の紀行文】「近藤勇」の首塚のこと 2004年5月16日

2004-05-16 | 過去の紀行文
 三河の住人になり、一月半が経ちました。この地は、華やかな祭りの山車やからくり物が残っている等々、本当に歴史を感じさせる地と思います。今回は、そんな三河の岡崎市にある法蔵寺をご紹介してみます。

 岡崎は徳川家康の生誕地ですが、岡崎城を始め縁の地が数々あります。今回の宝蔵寺も、家康が幼い頃に学び育った寺とのことです。しかし、この寺を訪問しようと思い至った理由は別にありました。それは、この寺に近藤勇の首塚があると、知ったこ とによります。

 巷の新撰組ブームにつられ、ちょっと前に「燃えよ剣」という本を読んで、新撰組の活躍をある程度ですが知ったと思っています。しかし、新撰組局長の近藤勇は、東京・板橋で斬首されたはずです。それが何で岡崎の地に首塚があるのかなあというのが、今回の素朴な疑問でした。

 今回、首塚を訪れて説明書きを読んだ所で、次の様な内容が記されており、今回の疑問のすべてが判りました。

 近藤勇は板橋の刑場で斬首された後、その首は塩漬けにされ運ばれ、京都三条にれさらされたととのことです。そして、三晩目に同士が持ち出し、京都の寺の和尚さんに埋葬を依頼したとのことです。しかし、その和尚さんは、この法蔵寺に転任となり、そのため人知れずこの地に埋葬されて時を経たのだそうです。そして、明治、大正を経て、昭和33年になって、寺の記録から埋葬の由来が判明したのだとか。





追記
 「燃えよ剣」は司馬遼太郎氏作の新撰組・土方歳三を主人公として描いた小説です。読み始めると大変面白く、軽快に読み進みました。  この本で土方歳三の人となりを知りましたが、新撰組という組織を強くしたいというそれだけを愚直なまでに追求して行く男を描いています。官軍(維新軍)や賊軍(幕府軍)の力関係の変化にまったくぶれることなく、政治にも走らず、ひたすらこのことを追求して行きます。そして、最後は函館の地で戦死します。そんな本当に愚直な男ですが、魅力を感じる人物と思います。 送信日時: 2004年5月16日 日曜日 12:35(写真4枚)


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