JR沼津駅南口にSL(蒸気機関車)の動輪と共に「沼津機関区」の碑がある。同碑の下部にある略史によれば、同機関区は明治19年に開設され、同22年に東海道本線開通と共に沼津駅開設などとある。この碑や略史から、かねがね往時の沼津機関区のことなどに関心を向けていたところなのだ。
先日、沼津図書館に立ち寄った際、関係する書籍を数冊見つけ、気になった写真(一部は絵)をカメラで切り取ってきたので紹介してみたい。
3枚目の写真はSLのためのターンテーブルと扇型車庫だ。4枚目は、一部車庫を取り壊した、比較的近代のものと、車庫はそのままで電気機関車を入れてある写真だ。
続く5枚目の図面は扇型車庫の一部平面図だが、この扇型車庫とは単なる車庫でなく、SLの整備工場でも会ったのだ。図面の中に40トン(旧感じで読めないが)ビームジャッキなどと気してある。車輪を外す整備は、このジャッキレーンに入庫し、車体を持ち上げ、車軸付き車輪を外したのだろう。このジャッキ有りの2レーンの入口側上部には電動ルーフクレーン(今で云う天井クレーン)と示されているので、外した動輪など重量物を吊して移動したりと作業したのだろう。なお、扇型車庫の最右レーンは16番線と記されているので、合計16台が入庫可能だったことが判る。
6枚目写真だが、明治22年の初代の沼津駅舎だそうだ。誠にこじんまりとしている。なお、当時の沼津市街の中心部は沼津駅周辺ではなく、今で云う本町や下本町辺りであったそうだ。これは、当時は陸運はないに等しく、海運が主で、その出入り口となる沼津港は今の永代橋の下流側たもとに存したと云うから、賑わいはその様なことになったのだろう。従って、東海道本線の開業当時の沼津駅周辺は、ある程度閑散としていたと想像できる。
7枚目のこれは絵だが、当時の東海道本線たる岩波駅近くの描いたものだ。昭和9年の丹那トンネル開通以前、東海道本線は,現在の御殿場線が本線であり、複線として運営されていた。従って、西から来た列車は,これからの登坂に備え、機関車の増結やら、給炭、給水など、大わらわで支度を調えていたことだろう。東から来た列車も、機関車の切り離し、そして整備と沼津機関区は活躍したに違いない。
8枚目も絵だが、運行中の蒸気機関車車室内を描いたものだ。この蒸気機関車というのは、おきなボイラーの火口至近に運転手と助手は位置し、灼熱地獄の如くの業務だったに違いないだろう。特に、登り坂に入ると、蒸気圧力計を見つつ、火口扉を開いてスコップで石炭を投げ入れるという重労働をするのだから大変なことだったろう。
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先日、沼津図書館に立ち寄った際、関係する書籍を数冊見つけ、気になった写真(一部は絵)をカメラで切り取ってきたので紹介してみたい。
3枚目の写真はSLのためのターンテーブルと扇型車庫だ。4枚目は、一部車庫を取り壊した、比較的近代のものと、車庫はそのままで電気機関車を入れてある写真だ。
続く5枚目の図面は扇型車庫の一部平面図だが、この扇型車庫とは単なる車庫でなく、SLの整備工場でも会ったのだ。図面の中に40トン(旧感じで読めないが)ビームジャッキなどと気してある。車輪を外す整備は、このジャッキレーンに入庫し、車体を持ち上げ、車軸付き車輪を外したのだろう。このジャッキ有りの2レーンの入口側上部には電動ルーフクレーン(今で云う天井クレーン)と示されているので、外した動輪など重量物を吊して移動したりと作業したのだろう。なお、扇型車庫の最右レーンは16番線と記されているので、合計16台が入庫可能だったことが判る。
6枚目写真だが、明治22年の初代の沼津駅舎だそうだ。誠にこじんまりとしている。なお、当時の沼津市街の中心部は沼津駅周辺ではなく、今で云う本町や下本町辺りであったそうだ。これは、当時は陸運はないに等しく、海運が主で、その出入り口となる沼津港は今の永代橋の下流側たもとに存したと云うから、賑わいはその様なことになったのだろう。従って、東海道本線の開業当時の沼津駅周辺は、ある程度閑散としていたと想像できる。
7枚目のこれは絵だが、当時の東海道本線たる岩波駅近くの描いたものだ。昭和9年の丹那トンネル開通以前、東海道本線は,現在の御殿場線が本線であり、複線として運営されていた。従って、西から来た列車は,これからの登坂に備え、機関車の増結やら、給炭、給水など、大わらわで支度を調えていたことだろう。東から来た列車も、機関車の切り離し、そして整備と沼津機関区は活躍したに違いない。
8枚目も絵だが、運行中の蒸気機関車車室内を描いたものだ。この蒸気機関車というのは、おきなボイラーの火口至近に運転手と助手は位置し、灼熱地獄の如くの業務だったに違いないだろう。特に、登り坂に入ると、蒸気圧力計を見つつ、火口扉を開いてスコップで石炭を投げ入れるという重労働をするのだから大変なことだったろう。
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