現代乞食論人論
過去から様々な論者もしくはオピニオンリーダーたる人物がいるのだが、現代は特にNetで個人的発言とかもできるので、昔よりその様な論者総数は増えているのだろう。しかし、その論者それぞれを観察した場合、その背景にある権力者の姿が垣間見えたり、そういう権力者に操られると云うことはないが、正に小遣い稼ぎに精を出していると云うか、機に入るに敏で乞食的な言論活動を自家営業として行っている者(以下乞食言論人)が目に付くということがある様に感じる。
今回は、この乞食言論人について、記して見たい。
この乞食言論人とは、その言説は人民とか民衆の為とか言いながら、注意深くと云うかしばらく聞いていると、結局のところ、世のため人の為なんて云う意識はなく、自己のアピールしかないということが見えて来る。そして、そういう乞食言論人の目立つ言論を重宝する、三流紙的なメディアとか、Youtubeなどで云えば、最近放映を中断した様だが「虎ノ門ニュース」とか「チャンネル桜」などに参加してるメンツが正に乞食言論人の代表的な者だろう。それと、先に述べた様に三流紙の正に表題で注目を集めることに注力するメディアによく取り上げられる、ホリエ、ハシシタ、ヒロユキなども、乞食言論人と云って良いだろうと思う。彼らは、何れにしても、その前節はともかくとして、世のため人の為とかいう思想は希薄で、如何に事故発言が耳目を集めるかに注力しつつ、ある時は時の権力者を批判したりもするのだが、聞いていて判るのは、徹底的に権力を追い詰め、自ら血を流すことまでは避けると云う、あくまで芝居としての言論に終始していることが透けて見えてしまうのだ。
昔から権力者に媚びない言論人というのは僅かながら存在し続けていたのだが、現代社会では、この乞食言論人がやたら多くなったところで、その上っ面の言葉に騙されて、そうだそうだその通りと振り回される大衆といるのが存在する様に思える。このことは、時の権力者にとっては、誠に都合が良い、ある意味便利な言論人だろう。つまり、世論を制御したければ、金チラつかせて、如何様にもしゃべらせられるし、所詮此奴らは、権力者を追い詰めるまでの発言を氏ないことが判っているから、非常に重宝に使えるのだろうと思う。
と云うことで、インフォメーション(情報)とインテリジェンス(情報の核心)の見分けという意味では、情報扇動され易いのが大衆の前提と言うことになるのだろう。昔はある意味メディアが限定されており、ある場合は大手メインストリームメディアまでが、権力者をあおりまくって来たのだが、現在はそれも同様にあるのだが、この乞食言論人という者がやたら増えたという感を持つところだ。
過去から様々な論者もしくはオピニオンリーダーたる人物がいるのだが、現代は特にNetで個人的発言とかもできるので、昔よりその様な論者総数は増えているのだろう。しかし、その論者それぞれを観察した場合、その背景にある権力者の姿が垣間見えたり、そういう権力者に操られると云うことはないが、正に小遣い稼ぎに精を出していると云うか、機に入るに敏で乞食的な言論活動を自家営業として行っている者(以下乞食言論人)が目に付くということがある様に感じる。
今回は、この乞食言論人について、記して見たい。
この乞食言論人とは、その言説は人民とか民衆の為とか言いながら、注意深くと云うかしばらく聞いていると、結局のところ、世のため人の為なんて云う意識はなく、自己のアピールしかないということが見えて来る。そして、そういう乞食言論人の目立つ言論を重宝する、三流紙的なメディアとか、Youtubeなどで云えば、最近放映を中断した様だが「虎ノ門ニュース」とか「チャンネル桜」などに参加してるメンツが正に乞食言論人の代表的な者だろう。それと、先に述べた様に三流紙の正に表題で注目を集めることに注力するメディアによく取り上げられる、ホリエ、ハシシタ、ヒロユキなども、乞食言論人と云って良いだろうと思う。彼らは、何れにしても、その前節はともかくとして、世のため人の為とかいう思想は希薄で、如何に事故発言が耳目を集めるかに注力しつつ、ある時は時の権力者を批判したりもするのだが、聞いていて判るのは、徹底的に権力を追い詰め、自ら血を流すことまでは避けると云う、あくまで芝居としての言論に終始していることが透けて見えてしまうのだ。
昔から権力者に媚びない言論人というのは僅かながら存在し続けていたのだが、現代社会では、この乞食言論人がやたら多くなったところで、その上っ面の言葉に騙されて、そうだそうだその通りと振り回される大衆といるのが存在する様に思える。このことは、時の権力者にとっては、誠に都合が良い、ある意味便利な言論人だろう。つまり、世論を制御したければ、金チラつかせて、如何様にもしゃべらせられるし、所詮此奴らは、権力者を追い詰めるまでの発言を氏ないことが判っているから、非常に重宝に使えるのだろうと思う。
と云うことで、インフォメーション(情報)とインテリジェンス(情報の核心)の見分けという意味では、情報扇動され易いのが大衆の前提と言うことになるのだろう。昔はある意味メディアが限定されており、ある場合は大手メインストリームメディアまでが、権力者をあおりまくって来たのだが、現在はそれも同様にあるのだが、この乞食言論人という者がやたら増えたという感を持つところだ。