昨今はコンピューター・テクノロジーが進歩し、事故車の見積なんて誰でもできる簡単なことと云わないまでも、案にその様な安易な考えを伺わせる発言を繰り返す、損害調査会社の首脳陣が多いと感じられます。
そんな安易な考えを思う者に、私は問いたいのです。事故車見積ソフトは、個別の部品の損傷の有無や修理の可否を判断してくれるものなのでしょうか。そして、付随的に生じる部品の脱着作業を判断してくれるものなのでしょうか。確かに、コンピューターテクノロジーは進歩しましたが、現状のところ、これらの判断業務までを自動化させたものはないのです。
ところで、事故車の損傷見積としては、外観等から直接損傷を確認できる部位は、ある程度の知識さえあれば、誰でも見積ることができるものです。しかし、隠れた部分の損傷を如何に想像し、適切に見積に反映させてを妥当な損害額を判定できるかということに、事故車の損傷見積技能のキモがあるのではないかと思っています。
その隠れた部分の損傷の想像ですが、損傷部位の構造や材質、損傷傾向、損傷診断等の広範な知識と、経験に裏打ちされたノウハウによって判断できるものだと感じているのです。
この経験に裏打ちされたノウハウですが、自研センターや社内研修における作業観測が役立つものだと思います。しかし、この様な研修としての作業観測というのは、限られた研修時間の中で、作業の根幹部分をクローズアップして行われるという点があるのは否めないことです。よく、研修における作業観測で、作業者が「直りました」と宣言して作業完了となる訳ですが、実はまだまだ直っていなかったなんて場合も結構あるものなのです。
例えば、フレーム修正機による作業においても、大きく動いた車体骨格を、大体の寸法までの戻す時間より、そこから最後の数ミリの寸法を追い込む時間の方が、結構要する場合が多いものです。
ですから、研修における作業観測だけでは、経験としては十分と云えず不足してしまうと思うのです。そんな中、日頃の損害車両の立会活動において、作業途中における再立会の反復という訓練によって、経験としてのノウハウが生み出されて来るのではないかと考えているのです。
ところで、極一部のアジャスターの中には、例えどの様な修理工場見積でも、それなりに翻訳して、さも適切妥当な自己見積を作成できると、変な自信を持っている様な方がいますが、お笑いなことだと断じています。それなりの見積技能と見識を持った者であれば、この様な見積というのは直ちに欠点が見えてしまうものなのです。ただ、現在、その様な見積技能と見識を持った者が少なくなったと感じますし、各社におけるレポート審査基準を概観するに、歪んだものと感じざるを得ません。