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民主主義の終焉への方向

2023-06-04 | コラム
民主主義の終焉への方向
 80年前の敗戦により日本は、米国の占領統治下に置かれ、その際に二度と戦争のできない国家とすることを前提に米国主導の新憲法が作られたと認識している。ただし、この新憲法は、当時のマッカーサーの理想主義とか、米国の理想主義者や日本の理想主義者の意見も取り入られ、総てが米国に都合の良いという視点で作られたものではなかったと思える。

 だから、第2次大戦後朝鮮戦争が勃発した際も、米国は日本人派兵も要請したかったのだが、当時の吉田首相は新憲法を楯にして断ることができたのだろう。この際、韓国などは当事者国だから当然と云えるが、朝鮮戦争において多大の負担を生じたのはまだ判るにしても、その後のベトナム戦争にまで米国の派兵要請に応じてきている。

 戦後80年を経て、ウロ戦争とか北朝鮮とか中国脅威論を米国主導で世界を啓蒙する中、中国脅威論というか台湾有事に一番協力的な国は日本になっているというおかしな現象が起きているのはある意味不思議にも感じる。

 そもそも、日本の90年バブル崩壊以後、日本の経済成長は止まったと云うか、後退すらしていると思える。新聞報などでは株価がバブい以前の市場最大根を付けたとか云うが、庶民には関係のない話しで、そもそも労働分配率がますます経営者もしくは株主有利に動く中、そこに努める従業員にとって、リターンが増えることもなく、いいとこ会社の存続に安堵すると云うところだろう。

 ところで、日本に比べれば欧米などは、未だ経済成長はしている様に見えるであって、一人当りのGDPなどでは高い数値を示しているのだが、日本はますます低下の一途を辿っている。(現在世界27位?)そうは云えども、マクロに概観すれば、従来先進諸国と云われた国は、相対的に現在の日本ほどではなくても、成長の鈍化とか貧富の格差など、行き詰まりを生じているのは確かだろう。その最たる国が米国であって、70年以後、一方的に自前の収益を減らしつつあるのだが、企業は別で多国籍化しつつあり、成長している分野が多く、また軍事費に投入している国家収入も半端でなく、未だ世界の覇権を握っている訳だ。

 ところで、民主主義論として述べたいが、先進諸国は総て民主主義が前提となるのだが、そこには国家の利益と個人の権利とが裏腹の関係にならざるを得ないのは理解できるのだが、その中で国により差異がある様だ。ただ方向としては、経済成長の行き詰まりと相関して民主主義にも行き詰まりというか、個人の権利より国益重視の方向へシフトせざるを得ない様に見える。このことを表したのが、グローバリエーションからナショナリズムへとか、もっと過激に云えば民主主義から帝国主義もしくは中世社会(独裁主義とか権威主義となろう)への動きだろう。

 この動きは確実に日本にも現れているのだが、日本の場合は本当に国益を最重視しているかとなると、どうも異なる様だ。70年以降の米国の主に製造業の低迷を根源とするのだろうが、日米地位協定という呪縛を根源とするのだろうが、米国の圧力というべきか、はたまた米国へ媚びへつらうと云うべきか、国益でなく米国益を最優先する国家政治、官僚体制がこの国を動かしている様に感じる。

 そういう中において、米国と同様に富める者と貧しい者の格差が広がり、一時言われた一億総中流社会というべき中間層が大げさにいえば喪失し、貧しい者が拡大してきたと見える。この中間層というのが、いわば民主主義の主体であったと思うのだが、それが喪失することで、日本の民主主義は失われたのではないだろうか。

 それと、従前中世への回帰で独裁とか権威主義を述べたが、権威の中に新たな身分制と呼べるべき現象が日本には起きている様に思える。代表的なものは、政治家の二世、三世という家業的な政治家の台頭だろう。また、医者の息子は医者とか、国家高位官僚の息子がやはり高位官僚に昇り詰めるとか、そもそも政治家のバカ息子は有名大学には流石に入れないが、高位官僚の息子はそれなりの有名大学や大学院に進み、高位官僚に上り詰める。また、官僚でなくても、金融業などで、官僚管理が強い企業だと、入社時からエリートコースで上級幹部に上り詰めるという事例が多すぎる様に感じる。

 おそらく、今の日本を実質動かしている、もしくは設計図を描いているのは、官僚なのだろう。そういう中で、看板となるのは二世三世のバカ息子だが、これは単に踊らされているに過ぎない様にも思える。こういうことを考慮すると、経済鈍化の中でも傾注すべきは国力を増す源泉は、教育にあると思えるのであって、高校および大学まで希望者は全額無償で国費で購う必用を感じるところだ。ただし、サンデル教授の云う様に、有名大学卒業者は奢り高ぶらず謙虚でなければならない。国益を考えるのは良いが、省益だとか自分の地位確保でなくて、国民の安寧を忘れてはならない。それには、知識だけでなく、広く教養を持たねばならないという思いなのだが、遠い世界だろう。


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