ものごとを思考する根本・原点は、何であろうかと思考してみることがあります。一方、現在の日本は殺伐として、いわゆる情や仁義がなくなったと云われることも多くあります。そして、何事にも無反応・無感動な人々も増えつつある様にも感じられます。
ところで、日本という国の国力の根源は、国民の民度の高さであり、これには教育の問題が欠かせないものであると感じます。そして、教育というものが、ものごとを思考する根本・原点となることは間違いないことと思えます。この点では、教育再生を掲げた安倍晋三元総理の方向性は間違っていなかったと感じます。
ある学者の方が、今最も欠けている教育として、倫理と道徳であると記しておられます。そして、躾ということが大事なことだと云っています。私は、自分の一人息子を極めて放任主義で育てましたから人のことを云う資格はあまりないのですが、昨今の仕事絡みで出会う若い人を中心に痛切にそのことを感じます。
最近のことですが、ある先輩が記してくれました。新しくアジャスターとなった方々数名と会う機会がありましたが、ゆっくりと話しをした新人は1名だけであったといいます。このことは、率先して橋渡しをすべき立場の先輩達の意識が変って来ていることもあります。そして、我々が新人であった頃のように色々な話しを聞きたくて、進んで先輩に交わろうとした頃とは大いに時代が違ってきている様にも感じますと。
また、別のある先輩が記してくれましたが、業務上のことで自己の友人への訪問への仲介をある責任者から頼まれたのですが、その後の謝礼等を含めた報告がなされもしないと云うものです。この様な仁義知らずの非常識な責任者が居ることは残念であると記しています。
この様な世の中ですが、私は決して諦めず、云うべきことは云い、批判すべきは批判し、決して情を忘れることはない人間として生きて行きたいと切望するものです。