私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ものの見方

2008-03-19 | コラム

 私は、偶に後輩アジャスターの損害調査レポートを見ることがありますが、ある意味で無念なという思いを持つことがあります。この様な他人の損害レポートを見るのは、15年位前の私の本社時代には、数多くを行って来ました。その頃の平均的な添付写真と比べ、大変不満足な写真だと感じられることがあるからです。
 それは何故か。カメラのレンズはその調査者の視線であり、従って撮影された写真画像は、その調査者の視線であるということが云えます。その様な意味を持って、損害レポートの添付写真から感じられる内容は以下の通りのものです。

  • 車両全体の損傷傾向が判る写真が少ない。=車両全体の損傷傾向が把握されていない。
  • クローズアップ写真がやたらに多い。=個別部位の損傷だけを把握しようとする傾向が伺われる。
  • 写真の水平が大きく傾いている。=被損傷物に正対して撮影されていないことであるが、真摯に損傷傾向を把握し説明しようとする情熱不足と感じられる。

 以上のような内容なのですが、端的に云えば、ミクロ的(微視的)な観察に終始し、マクロ的(巨視的)観察が不足していると云うことです。古くからのことわざで「木を見て森を見ず」というものがありますが、正にその状態なのです。事故損傷車両の損害見積については、まずは全体の損傷傾向を把握観察し(マクロ的観察)、それから個別部位の損傷を把握観察(ミクロ的観察)すべきことは、セオリーであり教育はなされているはずなのですが、満足に出来ていない方が多い様にも感じられます。

 ところで、この車両損害見積の観察手法は、その他一般のものの見方にも共通するものです。対する相手のミクロ的な情報(主張発言など)と検討だけで、マクロ的な検討もしくは思考として、ある意味で大局観を十分に得ないままことを進行させ、不十分な結末を迎えている場面は多く見られます。

 それと、私が声を大にして云いたいのは、そのことをもっと大きく第三者的、社会的に見たとき、倫理的に問題がないかどうかという視点での検討・思考が必要だということです。もっと具体的に記せば、社会的な非難を受けるような、不公正や不公平、騙し、弱者いじめがないかという検討・思考のことをです。


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