昨週の13日、ヤナセの名誉会長である梁瀬次郎氏が享年91才にて死去なされました。ここでは梁瀬次郎氏とヤナセのことを記してみます。
かつてのヤナセと云えば、日本で走る輸入車の代名詞ともいえる存在であったと感じます。輸入車の中で米国車が比較的人気があった1970年代までの米国GMの各ブランド車等達、それ以降の米国車が下降しつつ独車が隆盛となった時代においてヤナセは輝いていました。この時代のヤナセ社では、メルセデスベンツ、フォルクスワーゲン、アウディ、GMの各車達を輸入(インポート)し販売してきました。各車の後部ウインドウ中央部の黄色地の[YANASE]のブランドは、ある意味でステータスシンボルであったと感じます。このヤナセ活躍の立役者であったのが、ヤナセの二代目社長の梁瀬次郎氏であったのです。梁瀬次郎氏は、本田宗一郎氏等と共に米国・自動車殿堂入りをなされています。
さて、日本のモーターリゼションの中で最高級車を牽引しつつ振興して来たヤナセ社ですが、各外国自動車メーカーの日本法人(**ジャパン等)が設立されると共に、輸入権を喪失して行きます。それまでは、ヤナセ直系子会社であったウェスタン自動車が一手に輸入代行業を行い、販売をヤナセが行うというものでした。しかし、各外国自動車メーカーは、日本での販売量拡販への野心を持ち、現地法人を設立すると共に、ヤナセの既得権を剥奪して行ったのです。これにより、ヤナセの収益は圧迫されて行ったのです。現在のヤナセでは、一部の特殊機械製品を除いて輸入権はなく、輸入車販売店として従来の扱いブランドに、BMWやボルボを追加する等して生き残りを図っているのです。