野暮用もあり、この週末に久方ぶりに首都・東京を訪問することになりました。そこで、思い感じたことを若干記してみます。
東京は、私自身が過去の7年間を勤務地として過ごした町です。その当時と比べれば、高層ビルもさらに増え、変化をしていることは判ります。比較的最近、夜の首都高速を通過した際も、今までなかった新しい高層建物が増え、夜も不夜城の如く、各層に煌々と明かりがともる姿を見て、地方経済は凋落の一途を辿る中、「やはり東京は違うなあ」なんて思ったものでした。
しかし、今回の東京紀行で数カ所を歩き廻った中で感じたことは、昔より確実に暗い町になったと感じられたことです。それは、ちょっと前のブログでも記したことですが、サラリーマン達の姿は正にカラスの群れと感じられたことにあります。誰も彼もが黒のスーツ、黒のコートなのです。中にはグレーや紺といった若干、明るい姿のサラリーマンも僅かに見られましたが、おそらく黒色の占有率は90%を超しているものと思いますした。
何で、サラリーマンの大多数が、この様な黒一色の服装になってしまうのでしょう。もしかして、ネクタイさえ変えれば、葬儀にそのまま出席できる便利さを思ってのことではないでしょう。
前にも記しましたが、サラリーマンは何ら服装に何ら規制はないはずで、組織に所属しその規律に服するからといって、何故にここまで黒一色に統一されてしまっているのでしょうか。これでは、ある意味、独裁政権国家における人民服を着ているのと同様なことと思います。
こんな黒一色の姿を曝し、その顔も、ちょっと俯きが加減な方が多い様に感じたことが、今回の東京の町を歩き、暗い町となったなと感じたことの理由なのです。
地方に住んでいる方の中で、東京に富と幸福が集中していると信じ、ある意味そこに憧れの心を持ったり、逆に地方は冷遇されているという被害者意識さえ持っている方が居るのかもしれません。しかし、これが現在の東京の現実の姿であり、確かに地方より富は得ているのでしょうが、逆に人間らしさを捨てた上でのものと感じざるを得ないのです。ですから、地方の方が、貧しくとも人間らしく幸せな生活を送っていると改めて再認識しました。
さて、2日間に渡り三名の方にお会いするのが、今回の東京紀行の主目的でしたが、その宿を何処にするかを決めた思考のことを記してみます。
東京という町は、江戸時代から日本の首都の地であった訳ですから、有名企業の本社が集中し、その発祥の地となる産業遺産とも云える文化財が多数あります。それは、政府や各種各社の博物館や、起業家の豪邸等であったりする訳です。これらの産業遺産を見て触れることは、クルマ好きの私ですが、クルマ以外のこととして愛好することの一つです。そんな中において、東京では過去から各地を見て来ましたが、まだまだみたい場所は多く残されているのです。
今回狙いを定めたのは、愛宕山にあるNHK博物館なのです。そんな訳で、その近くに宿を取り、同博物館を見学しました。この地は、元来NHK発祥の元となるJOAKのコールサインで、ラジオ放送が発信され出した地でもあります。
昔の放送関連機器の多数が展示されていましたが、クルマの発祥の頃と同様に、それら機械群は、メイドインUSAのGE社だとか、メイドインジャーマニーのテレフンケン社等々の製品なのです。クルマの製造もそうですが、日本はこれら製品を模倣し、改良し発展して来たことがここでも、良く判りました。
最後に、掲載した展示物の写真は、シンセサイザー演奏で新たな時代を築いた富田勲氏の利用していた演奏機器です。これは、写真の様にダイヤルが一杯並んだ、アナログ・シンセサイザー演奏器です。今や、時代は何もかもデジタル処理、コンピューターの世界です。このデジタル・コンピューターが生み出した社会への影響は、多分産業革命に匹敵すべきものがあるのだろうと思います。しかし、そのことによって、人間が幸福になったかどうかは、甚だ疑問なことだと改めて思うのです。