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ルポルタージュ・損害調査員 その16【損保の歴史②】

2022-07-04 | コラム
ルポルタージュ・損害調査員 その16【損保の歴史②】
 16回目のルポルタージュとして、前回に続き損保の歴史②として、今回は物損事故調査の歴史を記したい。
 損保商品の収入保険料の半分強が自動車保険だ。この自動車保険は、収入としてのマスが大きいが、ロスとしてのクレーム(事故)件数も多く、特に物損事故の件数は非常に多い。

 前回、損保の歴史として昭和30年代後半より急激なモータリゼーションで自動車保有台数も急進したが、交通戦争と云われる様に、往時は交通事故死亡者が16千名に達することもあった。この人身事故より10倍は多いのが物損事故であり、この多量な事故を如何に適正に支払うかということが、保険会社の命運を握ると認識されて来たのが昭和45年頃のことの様だ。これまでの間、自動車保険はロスが悪い(損害率が高い)と云うことで、何度か料率変更での値上げもなされていたが、ただただ割が合わないから値上げをするという進め方では、善良な契約者に対して公平を欠くという意見もあり、損害調査のあり方を自動車先進国である欧米に学ぼうという気運がでてきて、何度かの欧米保険会社の損害査定の実務を視察研究することが繰り返された様だ。

 これ以前、昭和30年代後半からもモーターリゼーションと自動車保有台数の増加に伴い、高損害の車両損害などを対象として、損害保険料率算定会管轄で、保険会社2社以上の推薦を受けて損害保険登録鑑定人という制度が作られ、活動が始められた様だ。この登録鑑定人という制度は、当初は全国の比較的規模の大きい整備工場の経営者とか実務担当者を推薦することが多かったと聞いているが、往時でもその総数は200名に満たなかった程度である様に聞いている。この登録鑑定人制度は、昭和50年にアジャスター制度が作られると共に消滅する。それから約半世紀を経た現在では、登録鑑定人だった方の多くは現存しないが、アジャスター制度発足後も同業務を行う方を、俗称「旧鑑定人」という呼び方をしたものだ。

 また、昭和40年代初頭になってから、各損保では通称「調査人」と呼ばれる、多少の自動車整備や板金修理の知識のあるものを請け負い仕事として雇用し始めることになった。この調査人は個人請負業で、各損害調査部署の依頼を受けて、個別自整BP工場に赴き修理費を調査するとう業務だったと聞く。同調査人制度は昭和50年にアジャスター制度が作られると共に消滅するが、別添のアジャスター年別推移の初年度(1975年)の初級者数から、約1600名程が存在したと想像できる。

 ここで、アジャスター制度および自研センターの設立経緯について述べたい。共に昭和50年から設立発足しているが、先に述べた欧米視察団の意見が集約され、日本でも損害調査員として、一定の業務知識を付与させ、その技能ランク制度の試験を行うことや、事故車の修理についてのモノサシとなる工数を作ることが必要と結論付けられ、(株)自研センター(千葉県船橋市)という組織が、各損保出資で作られ、損害調査員もアジャスターという名称で資格制度が整えられ稼働することになったのが昭和50年のことだ。なお、自研センターは用地などT海上社の自社研修センターとして企画立案されていたのだが、急遽アジャスター制度の設立と共に、全損保協同出資により自研センターという名称で発足したのだった。業務内容は、先にも述べたが、アジャスターの資格試験に応じた研修の実施と、近い将来に向けた事故車対応の工数表の整備だった。

 当初のアジャスター研修は、それ以前に調査人とされていた者も対象として、まったくの新人は見習、その後に初級、3級、2級という技能ランクを設けて対応した研修が行われることになった。ここで、別添資料に昭和50年(1995年)設立から1993年までの技術アジャスターの技能ランク別数の一覧とグラフを示すが、1993年で約7000名である。この後、2001年より、現在の、あいおい、ニッセイ同和、三井住友、2002年の損保ジャパン、日本興亜と合併が続き、その後、2003年東京海上日動、2010年にあいおいニッセイ同和。2014年に損保ジャパン日本興亜と統合が続き、アジャスター数は現在の数値は把握していないが、8000名ぐらいから定年者の補充をする程度で増える要素はない様に思える。なお、この経営統合や、損保の拠点数の削減、画像処理センター設置により立会を大幅に縮小するなど、アジャスター要員要求度合いも減っていることがあろう。


 なお、90年初頭のバブル崩壊以後、自動車保有数は増え続けているが、車種別に見ると貨物車は反転降下をし始めている。これと同様に、損保各社は事業費圧縮に注力する様になり、その一つが拠点数の統合だとか代理店の統合、画像査定の拡大、研修の削減、そして損保の合併増大という現象になって来たと想像できる。比較的最近、元自研センター職員の方と話す機会があったが、往時に比べると自研センター研修も大幅に受講生数が減ったと云うことであり、各社マターの自社研修も、アジャスターのみならず、損保職員の研修の機会も大幅に減っている現状がある様だ。

 このことと裏腹に、各損保では業務マニュアルとか業務用コンピューターソフトウェアの開発により、効率化という側面もあるのだろうが、さまざまな数値管理とマニュアル規定よる規格化と云うべき枠を定めた。このマニュアルだが、自動車の整備書にも同様のマニュアルがある訳だが、総じて年々車両は高度化しているのだが、実質のマニュアルの中身としては薄ぺっらい(ページ数が少ないのではなく内容としての不足が目立つと云う意味)と共通するが、内容に不足がある様に思える。それと、そもそもアジャスターにしても損害査定に関わる職員全体に云えるのだろうが、損害査定の基本理念としての社会正義とか、公明正大という倫理を前提にして自ら考え判断するとか、機転(英語でtact)という要素が大きいと思うのだが、どうも新人研修とかでそういう話しをあまりしていない様にも思える。このことは、私も損保在職中のある一時期、アジャスター教育という立場で業務指導して来たところであるが、当時からそういう気風が欠落しておりなんとかしなくちゃという思いはあったといえる。そのことがおざなりにされたまま、ますます進展したのが今の姿ではないかと思えている。事業費圧縮ももちろん企業として必用なのだが、ものごとの基本原理を示して、考え方を教えていくことは、その担当者の動機付けだとかモチベーションや思考に与える効果は無視できない価値があると思えるところではあると思えるところだ。


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