指数の疑問 その8【指数値は実態に合っているのかという疑問】
今回は数値そのものに内在すると思われる問題について、記してみようと思う。
端的に云って、拙人は十数年前まで損保調査員として従事ており、現在も自整BP業社と触れ合い続けているが、指数値が実情に合わないのではないか、何故この指数値が決められたのかという諸問題は、指数策定項目のすべてではないが、存在することを認識し続けている。
この問題のすべてが自整BP業の思考が正しいとまでは思っていないが、損保調査員だった頃から、指数策定を行っている自研センターという組織の諸データの開示不足にも原因はあるのではないかという疑念は持ち続けていたのだった。そんな中、現業当時は、データ開示の不十分さはあるものの、自研センターに質して、こういう前提条件だとか、そもそも標準的な工数となるべきものとは、初回単発作業で計れるものではないと説明を繰り返して来たものであったが、現在のアジャスターと呼ばれる諸君が、触れ合う修理工場に対して、同様の説明を行っているかとなると、甚だ心許ない思いがするところでもある。と云うのは、たまたま見聞きする事案とかで、アジャスター諸君が、「これで決まってますから」とか、「これを使うことが会社のルールですから」という様な、自分の視点だけで思考している様子が伺えることから、そんな思いが生じて来るのである。
さて、先にも記した様に指数は現在ある程度日本自整BP業に認知され普及したのであるが、相変わらず不審を生じ続けていることも事実だろう。そういう視点を持ちながら、日車協連のHPにおける年譜を眺めると、H3年(1991)3月および11月に「合同共同研究会の開催(タイムスタディーの実施)」とのことで記載されている。また、H4年(1992)7月には「修理作業時間の調査研究の開始」が記され、H5年(1993)3月の「「適正作業時間算定のための標準作業体系及び標準作業時間や余裕率の適正化に関する報告書」の製作」、同5月の「実態調査報告書」の製作」とある。さらに、H6年(1994)4月には「「適正作業時間算定のための第2次研究」開始が記載され、同8には「「適正作業時間算定のための第2次研究報告書」の製作」と記載されている。このことは、指数の全国展開が開始されたのが昭和60年(1985)だから、この展開から6年を経て、日車協連側で指数の諸問題を認識し、何らかの合同研修会が持たれたのだろうと云うことが読み取れる。なお、合同と記してある意味は、日車協連と対する損保の間の会であることは容易に想像ができる。ただし、この合同研修会の報告とあるが、どういう報告内容であったのか、幾つかの日車協連加盟工場に聞いても回答はないし、損保側でもこのことが行われたことを正式ルートで聞いたこともない。
ただし、私事となるが、1990年4月~1991年3月まで、拙人は所属する損保調査会社より自研センターへ2年間の派遣をされており、毎日自研センターを職場として活動していた。その活動の主たる内容は、アジャスター研修の手伝いなどであったのだが、当時時々、先に記した日車協連との協同作業観測が所内で行われていることは、聞いていたので、この協同研究なる名目での、実際のところ指数検証会というべきことが行われていたのは事実だろう。
考えて見れば、このことは理の当然で、ある事象について疑問を生じるとなれば、それでは実証実験なりテストをしてみましょうとなるのは当然だろう。この意味で、日車協連の動きは正当なものだと思えるし、受ける損保側としても、そこまで主張されれば、受けざるを得なかったということは理解できるところだが、その検証結果が日車協連サイドだけでなく損保側にも一切公開されずに過ごして来たのは、何か意図があるとしか考えられないところだ。
なお、H6年(1994)10月には、公取委による独占禁止法違反の警告が、損保協会および日車協連に対しなされたという経緯がある。ただし、この警告は指数値に対する警告というより、対応単価を個別企業とではなく、業界一律で縦の関係の中で決めているということでの警告であったと解されるが、自研センター側のその後の対応にかなりの影響を与えたことが伺えるところだ。
と云うのは、この警告以前は、自研センターでは、指数は純科学的な時間を元にした値であり、修理業界の実務として使用してもらえる「モノサシ」として使ってもらえるものとの説明があった。しかし、警告以後は、自研センターとしては、指数値そのものが独占的に策定されており、その使用を強制していると見られかねない疑念を払拭したいと思考したと思えるのだが、指数はあくまで自研センターの環境で作られた参考数値であると、かなりトーンダウンしたものに変化した。
ただし、これはあくまで自研センターの思考であり、個別損保の扱いは指数絶体論はいささかも緩む気配はなく、特に対応単価の協定は、大手個別ディーラーとだけの協定を行うに過ぎず、その他の工場はそのことを前提として、それ以下を強いるという構造はいささかも変化していない。
#指数値は実態に合っているのかという疑問
今回は数値そのものに内在すると思われる問題について、記してみようと思う。
端的に云って、拙人は十数年前まで損保調査員として従事ており、現在も自整BP業社と触れ合い続けているが、指数値が実情に合わないのではないか、何故この指数値が決められたのかという諸問題は、指数策定項目のすべてではないが、存在することを認識し続けている。
この問題のすべてが自整BP業の思考が正しいとまでは思っていないが、損保調査員だった頃から、指数策定を行っている自研センターという組織の諸データの開示不足にも原因はあるのではないかという疑念は持ち続けていたのだった。そんな中、現業当時は、データ開示の不十分さはあるものの、自研センターに質して、こういう前提条件だとか、そもそも標準的な工数となるべきものとは、初回単発作業で計れるものではないと説明を繰り返して来たものであったが、現在のアジャスターと呼ばれる諸君が、触れ合う修理工場に対して、同様の説明を行っているかとなると、甚だ心許ない思いがするところでもある。と云うのは、たまたま見聞きする事案とかで、アジャスター諸君が、「これで決まってますから」とか、「これを使うことが会社のルールですから」という様な、自分の視点だけで思考している様子が伺えることから、そんな思いが生じて来るのである。
さて、先にも記した様に指数は現在ある程度日本自整BP業に認知され普及したのであるが、相変わらず不審を生じ続けていることも事実だろう。そういう視点を持ちながら、日車協連のHPにおける年譜を眺めると、H3年(1991)3月および11月に「合同共同研究会の開催(タイムスタディーの実施)」とのことで記載されている。また、H4年(1992)7月には「修理作業時間の調査研究の開始」が記され、H5年(1993)3月の「「適正作業時間算定のための標準作業体系及び標準作業時間や余裕率の適正化に関する報告書」の製作」、同5月の「実態調査報告書」の製作」とある。さらに、H6年(1994)4月には「「適正作業時間算定のための第2次研究」開始が記載され、同8には「「適正作業時間算定のための第2次研究報告書」の製作」と記載されている。このことは、指数の全国展開が開始されたのが昭和60年(1985)だから、この展開から6年を経て、日車協連側で指数の諸問題を認識し、何らかの合同研修会が持たれたのだろうと云うことが読み取れる。なお、合同と記してある意味は、日車協連と対する損保の間の会であることは容易に想像ができる。ただし、この合同研修会の報告とあるが、どういう報告内容であったのか、幾つかの日車協連加盟工場に聞いても回答はないし、損保側でもこのことが行われたことを正式ルートで聞いたこともない。
ただし、私事となるが、1990年4月~1991年3月まで、拙人は所属する損保調査会社より自研センターへ2年間の派遣をされており、毎日自研センターを職場として活動していた。その活動の主たる内容は、アジャスター研修の手伝いなどであったのだが、当時時々、先に記した日車協連との協同作業観測が所内で行われていることは、聞いていたので、この協同研究なる名目での、実際のところ指数検証会というべきことが行われていたのは事実だろう。
考えて見れば、このことは理の当然で、ある事象について疑問を生じるとなれば、それでは実証実験なりテストをしてみましょうとなるのは当然だろう。この意味で、日車協連の動きは正当なものだと思えるし、受ける損保側としても、そこまで主張されれば、受けざるを得なかったということは理解できるところだが、その検証結果が日車協連サイドだけでなく損保側にも一切公開されずに過ごして来たのは、何か意図があるとしか考えられないところだ。
なお、H6年(1994)10月には、公取委による独占禁止法違反の警告が、損保協会および日車協連に対しなされたという経緯がある。ただし、この警告は指数値に対する警告というより、対応単価を個別企業とではなく、業界一律で縦の関係の中で決めているということでの警告であったと解されるが、自研センター側のその後の対応にかなりの影響を与えたことが伺えるところだ。
と云うのは、この警告以前は、自研センターでは、指数は純科学的な時間を元にした値であり、修理業界の実務として使用してもらえる「モノサシ」として使ってもらえるものとの説明があった。しかし、警告以後は、自研センターとしては、指数値そのものが独占的に策定されており、その使用を強制していると見られかねない疑念を払拭したいと思考したと思えるのだが、指数はあくまで自研センターの環境で作られた参考数値であると、かなりトーンダウンしたものに変化した。
ただし、これはあくまで自研センターの思考であり、個別損保の扱いは指数絶体論はいささかも緩む気配はなく、特に対応単価の協定は、大手個別ディーラーとだけの協定を行うに過ぎず、その他の工場はそのことを前提として、それ以下を強いるという構造はいささかも変化していない。
#指数値は実態に合っているのかという疑問