公文書の重要性 裁判記録の保管と情報公開
以下の記事によれば裁判記録は公文書記録法の対象ではないという。しかし、その正確は公文書に準じた重要さがあり、そもそも法制上はどうかは別として、国民主権を前提にしている以上、公文書と同じく国民共有資産と云ってもよいだろう。
しかし、開かれた司法などと聞くことが多いが、三権分立としても、大前提として何れも包括した主権は国民にあり、以下の内容を読むと唖然とする。
以下の記事は東京地裁の事例を述べているのだが、幾ら三権分立と云えども、法務省も国家公務員の範囲であり、個別裁判所マターで決める問題なのかとの感を持つ。法務省として、規定を付けし、全国一律同じ基準で保管管理、情報公開をしていくのが当たり前のことだろ思うところだ。
裁判所も判例タイムスなどで、随時判例とかの情報公開をしているのだが、これらを見ているのは、司法関係者だけだと思える。また、有償で判例タイムス時報は、誰でも購入はできるのだが、こういうところで国家が売上を上げる必用はないのであって、基本は同内容はインターネットで無料閲覧できる様にすべきではないだろうか。何か司法関係と云うと、閉鎖的でとうてい開かれた司法という意識は持てないとの感を強くする。
ちなみに、ある裁判でのことだが、裁判所に担当弁護士名を問い合わせした際の対応について記しておきたい。対応してくれた書記官曰わく、公開してはならぬと云う法律もないが良いという法律もない。従って公開はできない旨での説明を受けた。デモクラシー国家として国民は知る権利を持つという前提に立ち、その情報が禁じる法律なく、しかもなんら世の害悪になると云う予測でも付かない限り、情報公開すべきではないのかと思うということがあった。
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「捨てられる裁判記録 保存と公開は」(時論公論)
2020年02月24日 (月)
NHK 清永 聡 解説委員
戦後の数々の裁判記録が、人知れず廃棄されていたことが分かりました。東京地方裁判所は、2月にようやく保存の基準を公表しました。
ここ数年、公文書の廃棄などが次々と問題となっていますが、もう1つの公文書の問題、裁判記録の保存と公開について考えます。
【解説のポイント】
民事裁判の記録は多くが捨てられていました。
刑事裁判の記録は見ることができないケースも。
保存と公開をどのように進めるべきでしょうか。
【民事記録の保存の仕組みは】
ここ数年繰り返されている公文書の問題。これらはいずれも「行政」の文書です。公文書管理法で扱いが定められています。
一方「司法」である裁判記録はこの法律の対象ではありません。ただし、民事裁判の場合、最高裁の規定で、裁判の記録は確定後、1審の裁判所に5年間保存されます。また、判決文は別に保存されます。
さらに重要な裁判記録は「特別保存」として永久保存になります。どちらの記録も基本的に誰でも閲覧可能です。そして特別保存記録は最後に国立公文書館へ移されます。
つまり、保存と公開の仕組みは作られているわけです。
【実際は廃棄が相次ぐ】
ところが、実際は5年が過ぎた時点で大半が捨てられていたことが分かりました。ほとんどがこの「特別保存」にされなかったためです。
どのような記録が捨てられたのか。東京地裁を例に調べてみました。
例えば、生活保護をめぐって憲法の生存権が問われた「朝日訴訟」。海外に暮らす日本人に選挙権の行使を認めた「在外選挙権訴訟」。どちらも高校の教科書にも掲載されていて、生活保護の充実や投票制度の整備につながった、歴史的な訴訟です。しかし、これらも捨てられていました。
ほかにも、「宴のあと」訴訟、法廷メモ訴訟、「マクリーン事件」訴訟、そしてバブル後に破綻した金融機関をめぐる裁判など、数々の歴史的な記録が、軒並み廃棄されていました。廃棄の件数はよくわかりません。
現在年間3万件を超える民事裁判を抱える東京地裁で、ここまで特別保存されているのは「横田基地訴訟」など、わずか11件でした。
では全国の裁判所では、1年間にどれだけ特別保存されているのか。私は今度は最高裁に情報公開請求をしてみました。画面の右側が、開示された文書です。昨年度、特別保存に新たに認定されていたのは、全国の裁判所を合わせても、わずか9件でした。
これでは、「保存の仕組みが機能していない」というほかないでしょう。
【判決だけでなく記録を残す意味は】
特別保存されず捨てられていた理由ははっきりしません。
保管場所がない、あるいは判決文だけ残っているか、出版物に判例が掲載されていれば、十分だと考えたのかもしれません。
ただ、それでは残らない記録もたくさんあります。
例えば、旧満州、現在の中国東北部に開拓団として渡り、長く帰国できなかった3人の女性が、2001年に国を訴えた裁判がありました。「中国残留婦人訴訟」と呼ばれます。この記録も捨てられています。
その中には、原告など20人あまりの女性が、戦争体験や戦後の苦労をまとめ、裁判所に出した陳述書、そして法廷での証言が含まれます。多くの女性はすでに亡くなり、今では新たな証言を得ることはできません。
弁護団を務めた石井小夜子弁護士は「歴史的な記録であり、社会的にも貴重なものだった。捨てられたことに怒りを禁じえない」と話しています。
廃棄によって、裁判所に残すべきだった歴史証言を失ったことになります。
【初めての明確な保存基準】
東京地裁は2月、初めて明確な保存の基準を作りました。
新聞2紙以上に判決の記事が掲載されたり、最高裁の判例集に掲載されたりした裁判の記録を特別保存とするほか、一般から保存の要望を受け付ける手続きも、今後ホームページで公表することなどを決めました。
東京地裁は「これまで適切な運用がされていなかったことは誠に遺憾だ」などとコメントしました。
今後は、年間100件前後が特別保存されるとみられます。
初めて裁判所自身による客観的な基準が作られたことは、大きな前進と言えるでしょう。ただ、これは東京地裁だけです。全国の裁判所がこの基準を参考に、一刻も早く方針を作成して保存に取り組む必要があります。
【刑事記録の保存の仕組みは】
ここまで見てきたのは民事裁判です。では、刑事記録はどうなっているのでしょうか。
刑事裁判も形の上では似た仕組みがあります。保管するのは裁判所ではなく検察庁。保存期間は事件ごとに違いますが、閲覧が可能なのは確定から3年とされています。
期間内であれば法律で原則として「誰でも閲覧できる」と明記されています。さらに重要なものは「刑事参考記録」として保存されますが、国立公文書館に移す仕組みは整っていません。ごく一部を除き、検察庁に置き続けることになります。
【「閲覧不許可」も】
では、法律通り「誰でも閲覧できる」のか。
私は以前、ある刑事裁判の記録を閲覧請求しました。特別手配されたオウム真理教の元信者の裁判です。
しかし、地検の回答は「閲覧不許可」、一切見せないというものでした。「本人の改善や更生を妨げること」などが理由とされました。
しかし、閲覧請求は確定から3年以内に行ったうえ、判決など公開の法廷で出た内容まで一切非公開なのはおかしいのではないか。
私は、個人で「準抗告」という不服申し立てを裁判所に行いました。その結果、最終的に一部の不許可が取り消され、個人名などを除き大半の記録で閲覧が認められました。ただ、確定まで2年もの時間がかかりました。
専門家は「刑事裁判の場合、プライバシーや3年が過ぎたことなどを理由に、関係者以外の第三者の閲覧を不許可とする例が少なくない。法の定め通りに運用すべきだ」と指摘します。
開示に消極的なのはプライバシーへの配慮があるのかもしれません。しかし、犯罪被害者の遺族からは「悲惨な事件を繰り返さないため、裁判記録をできるだけ活用して、教訓を考えてほしい」という意見も聞かれます。検察はこうした声も受け止めてほしいと思います。
【どう保存と公開を進める】
このように民事は記録の廃棄、刑事は記録の公開。どちらも課題があります。
記録や資料が膨大だという声もありますが、デジタル化も検討は可能です。少なくとも保管場所がないことを理由に、捨てる行為を正当化することはできません。
そして、特に刑事裁判記録は、できるだけ公開する仕組みも整備が必要です。法律が「誰でも見ることができる」となっているにも関わらず、全部を見せないという対応を取ってしまえば、事件の検証や教訓を学ぶこともできなくなってしまいます。
必要があれば担当する職員を充実し、文書管理の専門家「アーキビスト」を配置する試みも検討してほしいと思います。
また、特に刑事参考記録は、一定の期間で国立公文書館へ移す仕組みの明確化することが求められます。
裁判記録も“公文書”です。「裁判所のもの」でも「検察のもの」でもありません。できるだけ国民と共有することが望ましいはずです。
【司法の記録も未来への教訓に】
社会保障など基本的人権にかかわる制度。そして事件や事故の再発防止策など、私たちの社会は、立法と行政に加え、司法の判断を繰り返すことで作られてきた側面があります。
裁判記録を捨てる、あるいは見せないということは、司法が長年積み重ねた貴重な歴史を隠すようなものです。
記録をできるだけ残し、可能な限り公開することで、未来へと生かしていく。保存と公開の仕組みを急いで整えてほしいと思います。(清永 聡 解説委員)
以下の記事によれば裁判記録は公文書記録法の対象ではないという。しかし、その正確は公文書に準じた重要さがあり、そもそも法制上はどうかは別として、国民主権を前提にしている以上、公文書と同じく国民共有資産と云ってもよいだろう。
しかし、開かれた司法などと聞くことが多いが、三権分立としても、大前提として何れも包括した主権は国民にあり、以下の内容を読むと唖然とする。
以下の記事は東京地裁の事例を述べているのだが、幾ら三権分立と云えども、法務省も国家公務員の範囲であり、個別裁判所マターで決める問題なのかとの感を持つ。法務省として、規定を付けし、全国一律同じ基準で保管管理、情報公開をしていくのが当たり前のことだろ思うところだ。
裁判所も判例タイムスなどで、随時判例とかの情報公開をしているのだが、これらを見ているのは、司法関係者だけだと思える。また、有償で判例タイムス時報は、誰でも購入はできるのだが、こういうところで国家が売上を上げる必用はないのであって、基本は同内容はインターネットで無料閲覧できる様にすべきではないだろうか。何か司法関係と云うと、閉鎖的でとうてい開かれた司法という意識は持てないとの感を強くする。
ちなみに、ある裁判でのことだが、裁判所に担当弁護士名を問い合わせした際の対応について記しておきたい。対応してくれた書記官曰わく、公開してはならぬと云う法律もないが良いという法律もない。従って公開はできない旨での説明を受けた。デモクラシー国家として国民は知る権利を持つという前提に立ち、その情報が禁じる法律なく、しかもなんら世の害悪になると云う予測でも付かない限り、情報公開すべきではないのかと思うということがあった。
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「捨てられる裁判記録 保存と公開は」(時論公論)
2020年02月24日 (月)
NHK 清永 聡 解説委員
戦後の数々の裁判記録が、人知れず廃棄されていたことが分かりました。東京地方裁判所は、2月にようやく保存の基準を公表しました。
ここ数年、公文書の廃棄などが次々と問題となっていますが、もう1つの公文書の問題、裁判記録の保存と公開について考えます。
【解説のポイント】
民事裁判の記録は多くが捨てられていました。
刑事裁判の記録は見ることができないケースも。
保存と公開をどのように進めるべきでしょうか。
【民事記録の保存の仕組みは】
ここ数年繰り返されている公文書の問題。これらはいずれも「行政」の文書です。公文書管理法で扱いが定められています。
一方「司法」である裁判記録はこの法律の対象ではありません。ただし、民事裁判の場合、最高裁の規定で、裁判の記録は確定後、1審の裁判所に5年間保存されます。また、判決文は別に保存されます。
さらに重要な裁判記録は「特別保存」として永久保存になります。どちらの記録も基本的に誰でも閲覧可能です。そして特別保存記録は最後に国立公文書館へ移されます。
つまり、保存と公開の仕組みは作られているわけです。
【実際は廃棄が相次ぐ】
ところが、実際は5年が過ぎた時点で大半が捨てられていたことが分かりました。ほとんどがこの「特別保存」にされなかったためです。
どのような記録が捨てられたのか。東京地裁を例に調べてみました。
例えば、生活保護をめぐって憲法の生存権が問われた「朝日訴訟」。海外に暮らす日本人に選挙権の行使を認めた「在外選挙権訴訟」。どちらも高校の教科書にも掲載されていて、生活保護の充実や投票制度の整備につながった、歴史的な訴訟です。しかし、これらも捨てられていました。
ほかにも、「宴のあと」訴訟、法廷メモ訴訟、「マクリーン事件」訴訟、そしてバブル後に破綻した金融機関をめぐる裁判など、数々の歴史的な記録が、軒並み廃棄されていました。廃棄の件数はよくわかりません。
現在年間3万件を超える民事裁判を抱える東京地裁で、ここまで特別保存されているのは「横田基地訴訟」など、わずか11件でした。
では全国の裁判所では、1年間にどれだけ特別保存されているのか。私は今度は最高裁に情報公開請求をしてみました。画面の右側が、開示された文書です。昨年度、特別保存に新たに認定されていたのは、全国の裁判所を合わせても、わずか9件でした。
これでは、「保存の仕組みが機能していない」というほかないでしょう。
【判決だけでなく記録を残す意味は】
特別保存されず捨てられていた理由ははっきりしません。
保管場所がない、あるいは判決文だけ残っているか、出版物に判例が掲載されていれば、十分だと考えたのかもしれません。
ただ、それでは残らない記録もたくさんあります。
例えば、旧満州、現在の中国東北部に開拓団として渡り、長く帰国できなかった3人の女性が、2001年に国を訴えた裁判がありました。「中国残留婦人訴訟」と呼ばれます。この記録も捨てられています。
その中には、原告など20人あまりの女性が、戦争体験や戦後の苦労をまとめ、裁判所に出した陳述書、そして法廷での証言が含まれます。多くの女性はすでに亡くなり、今では新たな証言を得ることはできません。
弁護団を務めた石井小夜子弁護士は「歴史的な記録であり、社会的にも貴重なものだった。捨てられたことに怒りを禁じえない」と話しています。
廃棄によって、裁判所に残すべきだった歴史証言を失ったことになります。
【初めての明確な保存基準】
東京地裁は2月、初めて明確な保存の基準を作りました。
新聞2紙以上に判決の記事が掲載されたり、最高裁の判例集に掲載されたりした裁判の記録を特別保存とするほか、一般から保存の要望を受け付ける手続きも、今後ホームページで公表することなどを決めました。
東京地裁は「これまで適切な運用がされていなかったことは誠に遺憾だ」などとコメントしました。
今後は、年間100件前後が特別保存されるとみられます。
初めて裁判所自身による客観的な基準が作られたことは、大きな前進と言えるでしょう。ただ、これは東京地裁だけです。全国の裁判所がこの基準を参考に、一刻も早く方針を作成して保存に取り組む必要があります。
【刑事記録の保存の仕組みは】
ここまで見てきたのは民事裁判です。では、刑事記録はどうなっているのでしょうか。
刑事裁判も形の上では似た仕組みがあります。保管するのは裁判所ではなく検察庁。保存期間は事件ごとに違いますが、閲覧が可能なのは確定から3年とされています。
期間内であれば法律で原則として「誰でも閲覧できる」と明記されています。さらに重要なものは「刑事参考記録」として保存されますが、国立公文書館に移す仕組みは整っていません。ごく一部を除き、検察庁に置き続けることになります。
【「閲覧不許可」も】
では、法律通り「誰でも閲覧できる」のか。
私は以前、ある刑事裁判の記録を閲覧請求しました。特別手配されたオウム真理教の元信者の裁判です。
しかし、地検の回答は「閲覧不許可」、一切見せないというものでした。「本人の改善や更生を妨げること」などが理由とされました。
しかし、閲覧請求は確定から3年以内に行ったうえ、判決など公開の法廷で出た内容まで一切非公開なのはおかしいのではないか。
私は、個人で「準抗告」という不服申し立てを裁判所に行いました。その結果、最終的に一部の不許可が取り消され、個人名などを除き大半の記録で閲覧が認められました。ただ、確定まで2年もの時間がかかりました。
専門家は「刑事裁判の場合、プライバシーや3年が過ぎたことなどを理由に、関係者以外の第三者の閲覧を不許可とする例が少なくない。法の定め通りに運用すべきだ」と指摘します。
開示に消極的なのはプライバシーへの配慮があるのかもしれません。しかし、犯罪被害者の遺族からは「悲惨な事件を繰り返さないため、裁判記録をできるだけ活用して、教訓を考えてほしい」という意見も聞かれます。検察はこうした声も受け止めてほしいと思います。
【どう保存と公開を進める】
このように民事は記録の廃棄、刑事は記録の公開。どちらも課題があります。
記録や資料が膨大だという声もありますが、デジタル化も検討は可能です。少なくとも保管場所がないことを理由に、捨てる行為を正当化することはできません。
そして、特に刑事裁判記録は、できるだけ公開する仕組みも整備が必要です。法律が「誰でも見ることができる」となっているにも関わらず、全部を見せないという対応を取ってしまえば、事件の検証や教訓を学ぶこともできなくなってしまいます。
必要があれば担当する職員を充実し、文書管理の専門家「アーキビスト」を配置する試みも検討してほしいと思います。
また、特に刑事参考記録は、一定の期間で国立公文書館へ移す仕組みの明確化することが求められます。
裁判記録も“公文書”です。「裁判所のもの」でも「検察のもの」でもありません。できるだけ国民と共有することが望ましいはずです。
【司法の記録も未来への教訓に】
社会保障など基本的人権にかかわる制度。そして事件や事故の再発防止策など、私たちの社会は、立法と行政に加え、司法の判断を繰り返すことで作られてきた側面があります。
裁判記録を捨てる、あるいは見せないということは、司法が長年積み重ねた貴重な歴史を隠すようなものです。
記録をできるだけ残し、可能な限り公開することで、未来へと生かしていく。保存と公開の仕組みを急いで整えてほしいと思います。(清永 聡 解説委員)