【書評】殺人犯はそこにいる(その2)
実のところ、昨夜記した書評は、かなり斜め読みしていて、読み飛ばしていた部分がかなり多く、現在読み飛ばし部分を改めて再読しつつある。
そんな中、こういう冤罪事件のドキュメンタリー本を見ていると、いわゆる冤罪事件は、警察、検察、弁護士、裁判官のさまざまな欠陥といえる無責任にあると思わざるを得ない。また、マスコミにおける捜査機関情報を鵜呑みにした情報拡散が世論を捜査機関と裁判が正しいと相当偏向した情報を周知することになる。つまり、弁護士の優劣もあるだろうが、もし優秀な弁護士の発言であっても、そのことに気付くジャーナリストはいても、そういう反体制の意見は特に大手マスコミでは書けないというのが実情だろう。
こうなると、冤罪で警察なり検察に目を付けられ、そのストーリーに組み込まれる余地があると、誰でも犯人として追い込まれていく宿命があるということになる。過去の冤罪事件で、清水(袴田)事件などは再審が認められるなどして釈放されているが、未だ再審無罪は言い渡されていないのだ。ただ、足利事件の菅谷氏の場合、決め手とされたDNA型の一致というのがDNA型再鑑定で不一致という結論が出たところで、直ちに釈放、その後の再審で、改めて無罪が言い渡されている。
ところで、昨夜の記事にも記したがDNA型鑑定で知っておきたいこととして、コンタミというワードがある。コンタミはコンタミネーションのことで直訳は「混入」のことだが、DNAの採取にあたって、当該証拠物件のDNA型鑑定に当たっては官舎側が十分意識しなければならないことだという。つまり、その証拠の体組織DNAが被告と一致する以前の問題として、被害者本人とか日頃触れ合ってる親族など、また捜査関係者などの証拠至近で不用意に大きなくしゃみでもすれば、その唾液が付着してまったく関係ないDNA型が検出する場合があり、過去実例もある様だ。
さて、この本の著者は、冤罪ということを最上位の到達点として見ておらず、この北関東連続幼女事件の真犯人は誰かという、つまり被害者5名本人およびその遺族のことを思いつつ真実正義を考えていたことが伺える。そのことは、もうまともな捜査官を越えたもので、およそジャーナリストの一般的な領域を遙かに越えた思考にある様に思える。
著者がこの足利事件の取材に触れはじめ、僅か2週間ほどの中で、公式には被害者がパチンコ屋を出て遺体発見場所までの経路で目撃者はいないとされていたのに、その目撃者の2名を把握している。このことは後刻警察でも警察でも把握しており、それなりに調書は作成されていたのだが、ストーリーには合わないからと検察の段階で排除されていたのだった。だが、著者は、よくそこまでという熱意で、この目撃証言を掘り下げ、所内ではルパンとあだ名される2013年当時で50才程の男を特定し、その男と面談までしているのだ。
ところで、足利事件はDNA型の再鑑定が科警研で行われ、当時の鑑定法とは違う最新の手法で菅谷さんのDNA型との不一致で冤罪判決を得たのだが、著者にとってはこれで再出発位置に戻れたという思いだ。自らルパンのDNA型鑑定を科警研とは別の鑑定人に依頼し、ルパンのDNA型と一致するまでの情報を得て、それを検察上級部門に伝えている。そして、警察がルパンの捜査を開始している状況までを掴みながら、ここで科警研と別鑑定の相違が露呈する中で、当初の菅谷さん冤罪の決め手となったDNA型鑑定の手法を否定したくない国家権力の意向との相克が露わになっていくのだった。その相克とは、端的に記せば、科警研鑑定によるDNA型鑑定で既に2008年10月28日に死刑執行された飯塚事件があり、国家としては科警研鑑定の信用性を毀損させることはまかりならんと、科警研鑑定の威信を優先させていくことだったのだった。
本の終章となるが、菅谷さんの最新無為判決と裁判官や検察管の大変申し訳なかったという言葉もあり、警察も一度はルパンの再捜索を進めている様子があったのにも関わらず真犯人追及への動きはなぜか止まってしまった。それを著者は、2013年の本書出版時の終わりで、この事件(北関東連続養女誘拐殺人事件)は国家権力という組織の手で葬られようとしているのだと説く。それは、桶川ストーカー事件の構造とあまりにも似た国家権力の力学ではないかと、あえて怒りを殺して記していることが感じられる。つまり、桶川では、被害者の告訴を被害届けと改竄したり、なかなか積極的には動かずというところなどは、目撃者として調書とったある一人の人物には、誤認だったという届けに変更までさせているというところなどから感じられるのだという。
この本を読んで著者の到底想像を超える捜査力とか執念に近い正義感というものに驚嘆せざるを得ない。しかし、合わせて指摘せねばならないのあ、国家に限らず組織とはどんな崇高な理念や法令があろうと、正義より結局のところ組織としての秩序維持だとか防衛本能というのが優先されるアルゴリズムになっているんだと気付かせてくれる。
本書出版から既に9年経た現在、著者の指し示した真犯人たるルパンは当時50才ほどだというから、現在60前後だろう。北関東未解決事件は最後となる96年から現在まで26年間も経ており、現在まで継続する不審事案は報じられていないが、未だ60前後の犯人は野に放たれたままというのは、あまりに酷い話しじゃないかと唸らざるを得ない。
#冤罪 #ジャーナリスト魂 #警察組織 #DNA型鑑定
実のところ、昨夜記した書評は、かなり斜め読みしていて、読み飛ばしていた部分がかなり多く、現在読み飛ばし部分を改めて再読しつつある。
そんな中、こういう冤罪事件のドキュメンタリー本を見ていると、いわゆる冤罪事件は、警察、検察、弁護士、裁判官のさまざまな欠陥といえる無責任にあると思わざるを得ない。また、マスコミにおける捜査機関情報を鵜呑みにした情報拡散が世論を捜査機関と裁判が正しいと相当偏向した情報を周知することになる。つまり、弁護士の優劣もあるだろうが、もし優秀な弁護士の発言であっても、そのことに気付くジャーナリストはいても、そういう反体制の意見は特に大手マスコミでは書けないというのが実情だろう。
こうなると、冤罪で警察なり検察に目を付けられ、そのストーリーに組み込まれる余地があると、誰でも犯人として追い込まれていく宿命があるということになる。過去の冤罪事件で、清水(袴田)事件などは再審が認められるなどして釈放されているが、未だ再審無罪は言い渡されていないのだ。ただ、足利事件の菅谷氏の場合、決め手とされたDNA型の一致というのがDNA型再鑑定で不一致という結論が出たところで、直ちに釈放、その後の再審で、改めて無罪が言い渡されている。
ところで、昨夜の記事にも記したがDNA型鑑定で知っておきたいこととして、コンタミというワードがある。コンタミはコンタミネーションのことで直訳は「混入」のことだが、DNAの採取にあたって、当該証拠物件のDNA型鑑定に当たっては官舎側が十分意識しなければならないことだという。つまり、その証拠の体組織DNAが被告と一致する以前の問題として、被害者本人とか日頃触れ合ってる親族など、また捜査関係者などの証拠至近で不用意に大きなくしゃみでもすれば、その唾液が付着してまったく関係ないDNA型が検出する場合があり、過去実例もある様だ。
さて、この本の著者は、冤罪ということを最上位の到達点として見ておらず、この北関東連続幼女事件の真犯人は誰かという、つまり被害者5名本人およびその遺族のことを思いつつ真実正義を考えていたことが伺える。そのことは、もうまともな捜査官を越えたもので、およそジャーナリストの一般的な領域を遙かに越えた思考にある様に思える。
著者がこの足利事件の取材に触れはじめ、僅か2週間ほどの中で、公式には被害者がパチンコ屋を出て遺体発見場所までの経路で目撃者はいないとされていたのに、その目撃者の2名を把握している。このことは後刻警察でも警察でも把握しており、それなりに調書は作成されていたのだが、ストーリーには合わないからと検察の段階で排除されていたのだった。だが、著者は、よくそこまでという熱意で、この目撃証言を掘り下げ、所内ではルパンとあだ名される2013年当時で50才程の男を特定し、その男と面談までしているのだ。
ところで、足利事件はDNA型の再鑑定が科警研で行われ、当時の鑑定法とは違う最新の手法で菅谷さんのDNA型との不一致で冤罪判決を得たのだが、著者にとってはこれで再出発位置に戻れたという思いだ。自らルパンのDNA型鑑定を科警研とは別の鑑定人に依頼し、ルパンのDNA型と一致するまでの情報を得て、それを検察上級部門に伝えている。そして、警察がルパンの捜査を開始している状況までを掴みながら、ここで科警研と別鑑定の相違が露呈する中で、当初の菅谷さん冤罪の決め手となったDNA型鑑定の手法を否定したくない国家権力の意向との相克が露わになっていくのだった。その相克とは、端的に記せば、科警研鑑定によるDNA型鑑定で既に2008年10月28日に死刑執行された飯塚事件があり、国家としては科警研鑑定の信用性を毀損させることはまかりならんと、科警研鑑定の威信を優先させていくことだったのだった。
本の終章となるが、菅谷さんの最新無為判決と裁判官や検察管の大変申し訳なかったという言葉もあり、警察も一度はルパンの再捜索を進めている様子があったのにも関わらず真犯人追及への動きはなぜか止まってしまった。それを著者は、2013年の本書出版時の終わりで、この事件(北関東連続養女誘拐殺人事件)は国家権力という組織の手で葬られようとしているのだと説く。それは、桶川ストーカー事件の構造とあまりにも似た国家権力の力学ではないかと、あえて怒りを殺して記していることが感じられる。つまり、桶川では、被害者の告訴を被害届けと改竄したり、なかなか積極的には動かずというところなどは、目撃者として調書とったある一人の人物には、誤認だったという届けに変更までさせているというところなどから感じられるのだという。
この本を読んで著者の到底想像を超える捜査力とか執念に近い正義感というものに驚嘆せざるを得ない。しかし、合わせて指摘せねばならないのあ、国家に限らず組織とはどんな崇高な理念や法令があろうと、正義より結局のところ組織としての秩序維持だとか防衛本能というのが優先されるアルゴリズムになっているんだと気付かせてくれる。
本書出版から既に9年経た現在、著者の指し示した真犯人たるルパンは当時50才ほどだというから、現在60前後だろう。北関東未解決事件は最後となる96年から現在まで26年間も経ており、現在まで継続する不審事案は報じられていないが、未だ60前後の犯人は野に放たれたままというのは、あまりに酷い話しじゃないかと唸らざるを得ない。
#冤罪 #ジャーナリスト魂 #警察組織 #DNA型鑑定