デモクラシー・言論の自由・透明性・説明責任と修理費協定
日本はデモクラシー(民主主義)国家だと云われている。このデモクラシーと対極あるのが独裁主義とか権威主義と云われるものであろう。しかるに、デモクラシーを担保するには、言論の自由、透明性、説明責任が高度に果たされねばならないだろう。
ここで、透明性とは、対象するものの中身とか仕組みが明確に見えて、疑問が生じないことであろう。そして、透明性を高める意味で説明責任アカウンタビリティ)が必用とされる。
昨今、保険の契約において、重要事項説明書なるものがあり、これを読んで了解した旨の署名を求められる機会があるだろう。この説明責任にはある場合には法的な責任として、もしくはデモクラシーとして報告を受けることえの倫理的期待を含んでいると解される。
ここで、BP企業向けに具体的な話しとして、指数の内容もしくは値に疑問を生じたとしする。この場合、指数は自研センターで策定されいるのだからと同書お客様損断質に質問をされた方もいるだろう。その結果、内容の深度が上がるに従って、それは自研センターの内部の情報ですのでお話しできません。自研センターでは指数を使うことを強要しているものではありません。是非、取り扱い損保と今の質問について、相談してお打ち合わせください。見たいな返答を受ける場合があるだろう。
そこで、取り扱い(支払い)損保に連絡すると、そんなこと聞かれたって、自研センターで決めていることだから、我々には判りませんとまでは云わぬまでも、意味合いとしては同様の返事が返って来るだろう。そして、我々は自研センターを全面的に信頼して、この指数を適正なものとして利用しているのです。この指数が利用できないと云うのなら、協定は控えさせて戴くしかありません。てなことになり、協定保留で何時まで経ても修理費は未確定で支払いを受けられないと云うことになる。
このことは、自研センターと損保の両方に説明責任の放棄が内在していると考えるしかないだろう。従って、指数の透明性も果たされないことになる。
はてさて、この問題をどうして解消すべきか? 多くの場合、この話をするアジャスターにも立場があるし、あまり個人攻撃をして困らせるのも大人気ないし、かといって裁判してまで費用と手間、時間を掛けてもメリットないし、問題は解決されないが多少は譲歩も得たし、いいとするかということろが多いのではないだろうか。そもそも、持久戦になったら、到底勝ち目はないことだしというのが多くの場合の実例ではないだろうか。つまり、ことの本質は1mmも動いていないのである。
ちなみに私は20数年アジャスターとして逆の立場で修理費の打ち合わせをして来た。多くの場合、人間関係ができている工場とは、さほど疑問も生ぜず、相手もどうかねというと云う感じで接してくるし、私もあまり人間関係を壊したくない思いから強い言葉を発することはなかったが、やはり手早く見て、ここは手間掛かったのですねとか、これはどういう根拠で値付けををとか、ある意味説明を求めてきたつもりだ。それは、必ずしも減額しようとまでは考えておらず、素朴な疑問として説明責任を求めていたに過ぎないと思ってる。
ただし、人間関係もなく、思いっきり吹っ掛けられたという感じる事案は、説明責任をまっとうしてもらおうじゃないかと多いときは総計20項目A4用紙で2ないし3ページの質問書を書いて提示してきた、とういうのは、こういう多項目を口頭で説明しようもなら、およそ最初の数項目でケンカとなり、到底最後まで私の重いと云うか疑問を伝えきれないからだ。そういう質問を出し、返事は文書で下さいと記して来たのだ。また、同僚もしくは後輩アジャスターの中にはそんな質問書いたら、ケンカを売っていると思われる場合も合ったと思う。しかし、私はケンカをしたくないからこそ、文書で質問を羅列提示したのであって、私にも説明責任はあるが、それは工場にも同様にあると確信していたから、躊躇することなくその様な質問書を提示してきた。その上で、ある場合は、説明するから来て欲しいとか、どう知れば良いんだと云う言葉が聞かれればそこで初めてこうして下さいと云う金額話しとなったのだ。そもそも、私は負けてくれとか、ただ高いとか云う言葉を述べたことは一度もない。工場には工場側の立場があり、まずは疑問点を質し根拠ある云い分を聞いてから、そこで判断しようという思いがあったのだ。その上で、しゃらくさいアジャスターと思もわれたかもしれないが、工場側からどう知れば良い?と聞かれれば、そこでこうして欲しいと意見を述べてきたものだ。
つまり、ここで云いたいのは工場側も私の行為の逆をやれば良いと思うのだ。つまり、アジャスターから各種否定の意見を聞いたなら、一々その場で言い返さないで、まとめて文書で記して、根拠ある文書で返答くれと提示する。おそらく、そのアジャスターは上位アジャスターにその文書を見せて回答を文書化するか濃う云えと指示されるだろう。つまり、文書化するのは、そのアジャスターではなく、その上を相手にしていると云うのが私の戦略だ。こういっては現代アジャスターをバカにしている(実際のところ多くはそうだ)様だが、彼らはメッセンジャーボーイに過ぎないのだ。そして、隠れた上司は陰湿に末端アジャスターをいびっているに過ぎないのだろう。つまり上司に、調節メッセージを見せることにより、その上司の力量試しをしようと云うのが私の思いだ。
日本はデモクラシー(民主主義)国家だと云われている。このデモクラシーと対極あるのが独裁主義とか権威主義と云われるものであろう。しかるに、デモクラシーを担保するには、言論の自由、透明性、説明責任が高度に果たされねばならないだろう。
ここで、透明性とは、対象するものの中身とか仕組みが明確に見えて、疑問が生じないことであろう。そして、透明性を高める意味で説明責任アカウンタビリティ)が必用とされる。
昨今、保険の契約において、重要事項説明書なるものがあり、これを読んで了解した旨の署名を求められる機会があるだろう。この説明責任にはある場合には法的な責任として、もしくはデモクラシーとして報告を受けることえの倫理的期待を含んでいると解される。
ここで、BP企業向けに具体的な話しとして、指数の内容もしくは値に疑問を生じたとしする。この場合、指数は自研センターで策定されいるのだからと同書お客様損断質に質問をされた方もいるだろう。その結果、内容の深度が上がるに従って、それは自研センターの内部の情報ですのでお話しできません。自研センターでは指数を使うことを強要しているものではありません。是非、取り扱い損保と今の質問について、相談してお打ち合わせください。見たいな返答を受ける場合があるだろう。
そこで、取り扱い(支払い)損保に連絡すると、そんなこと聞かれたって、自研センターで決めていることだから、我々には判りませんとまでは云わぬまでも、意味合いとしては同様の返事が返って来るだろう。そして、我々は自研センターを全面的に信頼して、この指数を適正なものとして利用しているのです。この指数が利用できないと云うのなら、協定は控えさせて戴くしかありません。てなことになり、協定保留で何時まで経ても修理費は未確定で支払いを受けられないと云うことになる。
このことは、自研センターと損保の両方に説明責任の放棄が内在していると考えるしかないだろう。従って、指数の透明性も果たされないことになる。
はてさて、この問題をどうして解消すべきか? 多くの場合、この話をするアジャスターにも立場があるし、あまり個人攻撃をして困らせるのも大人気ないし、かといって裁判してまで費用と手間、時間を掛けてもメリットないし、問題は解決されないが多少は譲歩も得たし、いいとするかということろが多いのではないだろうか。そもそも、持久戦になったら、到底勝ち目はないことだしというのが多くの場合の実例ではないだろうか。つまり、ことの本質は1mmも動いていないのである。
ちなみに私は20数年アジャスターとして逆の立場で修理費の打ち合わせをして来た。多くの場合、人間関係ができている工場とは、さほど疑問も生ぜず、相手もどうかねというと云う感じで接してくるし、私もあまり人間関係を壊したくない思いから強い言葉を発することはなかったが、やはり手早く見て、ここは手間掛かったのですねとか、これはどういう根拠で値付けををとか、ある意味説明を求めてきたつもりだ。それは、必ずしも減額しようとまでは考えておらず、素朴な疑問として説明責任を求めていたに過ぎないと思ってる。
ただし、人間関係もなく、思いっきり吹っ掛けられたという感じる事案は、説明責任をまっとうしてもらおうじゃないかと多いときは総計20項目A4用紙で2ないし3ページの質問書を書いて提示してきた、とういうのは、こういう多項目を口頭で説明しようもなら、およそ最初の数項目でケンカとなり、到底最後まで私の重いと云うか疑問を伝えきれないからだ。そういう質問を出し、返事は文書で下さいと記して来たのだ。また、同僚もしくは後輩アジャスターの中にはそんな質問書いたら、ケンカを売っていると思われる場合も合ったと思う。しかし、私はケンカをしたくないからこそ、文書で質問を羅列提示したのであって、私にも説明責任はあるが、それは工場にも同様にあると確信していたから、躊躇することなくその様な質問書を提示してきた。その上で、ある場合は、説明するから来て欲しいとか、どう知れば良いんだと云う言葉が聞かれればそこで初めてこうして下さいと云う金額話しとなったのだ。そもそも、私は負けてくれとか、ただ高いとか云う言葉を述べたことは一度もない。工場には工場側の立場があり、まずは疑問点を質し根拠ある云い分を聞いてから、そこで判断しようという思いがあったのだ。その上で、しゃらくさいアジャスターと思もわれたかもしれないが、工場側からどう知れば良い?と聞かれれば、そこでこうして欲しいと意見を述べてきたものだ。
つまり、ここで云いたいのは工場側も私の行為の逆をやれば良いと思うのだ。つまり、アジャスターから各種否定の意見を聞いたなら、一々その場で言い返さないで、まとめて文書で記して、根拠ある文書で返答くれと提示する。おそらく、そのアジャスターは上位アジャスターにその文書を見せて回答を文書化するか濃う云えと指示されるだろう。つまり、文書化するのは、そのアジャスターではなく、その上を相手にしていると云うのが私の戦略だ。こういっては現代アジャスターをバカにしている(実際のところ多くはそうだ)様だが、彼らはメッセンジャーボーイに過ぎないのだ。そして、隠れた上司は陰湿に末端アジャスターをいびっているに過ぎないのだろう。つまり上司に、調節メッセージを見せることにより、その上司の力量試しをしようと云うのが私の思いだ。