よく批判するなら代案がないとダメだと等と云われます。組織の運営者等に対し代案なしの批判ばかりして、じゃああなたがやって見ればと云われる様な場合もあると思います。しかし、私は代案のない批判でも、そのことが単なる中傷や個人的な欲得を欲するものでなく、組織全体にとって役立つ内容であれば、それは良いことだと思っています。そもそも組織体の運営者とは、この様な各種の批判に絶えず曝され耐えることを要求されているものであろうと感じます。そして、意味のある正しい批判には謙虚に軌道修正を行い、組織を発展強化させていくべきことと思います。
私が比較的に好意を持つ評論家に「佐高信」(さたかまこと)氏がいます。この方の旺盛なる批判精神は、ある意味で立派と感じられます。但し、人それぞれの主義主張がありますから、この方の社民党支持はまったく評価できないことですが。
最後に、ものごとに対しまったく批判できない(思っていても言わなければ同様)方がいますが、これはある意味で情けないことと感じます。批判することは評価することでもありますが、その道のプロであれば、評価の発言が問われる場で黙するのは、プロ失格となることは自明の理なのです。