人間とは愚かなものと度々感じ続けています。私が24年間に渡り関わり続けて来たクルマの事故なんか、正にその代表的な事象なんだろうと思います。
なんて愚かな運転をするんだ、だから事故になるのだろうと思うことは、私に取っては日常茶飯事のことでした。その私も、何時事故を起こしても不思議ではないと思いつつ、移動手段として、運転することを楽しみの一つとしてクルマを愛して来ました。
さて、事故の被害者の中には、愚かな人間の存在を否定するかの様に、加害者に対し怒りをぶつける方がいます。
これは、あるドクター(勤務医)の方でしたが、私が、「加害者は決して故意に為したのではありませんよ。あくまでも過失であって、人間とは愚かなものなんですよ」と説明したのに対し、「俺は絶対にミスなどせん。そういう強い意志で仕事をしてるんだ」と言い切られてしまったことが思い出されます。
困ったもんだと思いつつ、後日その方のご自宅を訪れた際、ご本人は不在でしたが、奥様が私に言ってくれた「家の旦那大変でしょう」一言が私の救いになったと感じられました。
相手の方との話し合いは、その後の繰り返しの面談により完結することになりました。それから暫くして、そのドクターの勤務する病院が医療過誤を問題とするニュースが報じられていました。あのドクターが関わっているとは思えませんが、やはり人間とは愚かなものと再認識しましたし、あのドクターの中にも、少しでもその様な気持が芽生えていてくれれば良いのだろうと思いました。
ところで、愚かな人間が侵した行為について、誠心誠意を尽くした詫びを行わない者が増えていると感じているのは私ばかりではないと思います。理不尽な思いを受けた者は、その様な謝罪の気持を受け取ることにより、理不尽な思いを受けたという怒りを静めることができるのだと思います。
しかし、何事かの理不尽なことを為しても、決して謝らない(もしくは謝れない)方々がいます。これは、何も法律に違反している場合だけでなく、その前提ともなる人としての道徳・倫理についても、云えることと感じます。そんなことを思いながら、私自身が気が付きもせず、その様な道徳・倫理に反する行為を為していることは、人間の出来てない故に盛り沢山にあるのだろうと感じています。やはり、人間とは愚かなものなのだと再認識します。