私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

未来のクルマへの杞憂(きゆう)

2018-03-07 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 時々だが、知り合いの整備や板金の工場の方々と話していて、聞かされる内容から記してみる。自動ブレーキとか自動操縦とか安全技術関連が普及して来ると、多種のカメラやセンサーのちょっとした狂い等で、「もう、俺たちには対応できない時代になる。」旨での、ある意味恐れとも感じられる思いを聞かされることがあることだ。たぶん、同業者だとか部品販売会社の営業マン辺りから聞きかじった話から、そんな思いを持つのだろう。

 これに対し、私は次のように私の思いを述べている。「そんなことは恐れずに足りずだ。だいたい、そんな緻密な調整が必要になるものを、メーカーの組み立てラインで採用できる訳ないでしょ。確かに、メーカー指定の計測調整機器や、調整手順を知る必要があるだろうが、それさえ押さえれば問題はないだろう。」と・・・。

 クルマに限らず、未知のモノに立ち向かう時、人間なにがしかの不安を持つものだろう。これは、過去のクルマでも、電子制御燃料噴射とか、HV車とかの導入過渡期には、類似の意見が聞かれたものだ。それでも、なんとかなって来たのが実際ではないだろうか。

追記(あくまで私的な想像)
 しかし、この先30年もしくは40年先を考えると、世の中まるで変化するだろうと思う。そう、完全自動運転車の普及だ。クルマには緊急用のステアリングもブレーキペダルもない。あっても緊急用のソフトウェアスイッチ程度であろう。この時代になると、公道において人が自動車の操縦を行うことが禁じられることになると想像している。交通事故も、ほぼ無くなるだろうし、自動車の運転を業にしている職種はなくなる。損害保険会社も収入保険料の6割を占めていた保険料がなくなる。個人がクルマを所有したいと云う要求も低下するだろう。クルマにおける諸性能やフィールとしての要求も一変するから、外観デザインは別として、内部の機構は現在より大幅に共通化され、ユニット化していく様に思う。こうなると、片側サスペンションが不良だとすれば、そのサスペンションの不良ユニットもしくは、その部位のボデー骨格を含めたユニットを交換すると云う時代になるのではないか。当然、新品部品だと、あまりにも修理コストが上がるし省資源として無駄となるから、専門工場において再生した部品にである。

 修理工場の風景を想像してみよう。工場内での移動や調整計測のための低速度運転は、無線ネットワークから該当車にコネクトして、ジョイステックなどで運転する(というかオペレートする)ことになるだろう。当然、誰でもコネクト出来るとセキュリティ上問題になるから、コネクトのアカウントは厳重に審査され与えられることだろう。この様な時代に、販売店(現在のカーディーラーが生き残れる保証はまったくないと思う)のサービス工場以外に対応できる余地はなくなるかもしれない。

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