オピニオンリーダーとは、世の世論形成に影響を与える人物の意である。今の世を、ある種の閉塞感ともいえる気配を感じ、様々な組織が俗に云う官僚化かとか硬直化といった建前の中で動いていると感じているのは私ばかりではないだろう。そんな中にあって、人々は貧乏くじを引かないことに汲々とし、ただただ命じられたことや、流れに沿うことだけに従っているのではないだろうか。
そう、何か問題を感じても、それは経営者が決めることだからとか、誰々の問題だからという思考になり過ぎていないだろうかと問いたい。前に記した「影響を与える者」というのは、例え自らの危険を感じたとしても、また言っても無駄だと思えても、手を替え品を替え、何らかの意見を提示し続け、影響を与える者だろう。これが、私が考える「ささやかなオピニオンリーダー」だと思う。
ちなみに、先日紹介したふそうバスの車体骨格リコールの件であるが、そのリコール前年にはサービスキャンペーンとして提示されたものだった。私は、このサービスキャンペーンの提示をみた瞬間、こんな重要な問題が、なんでサービスキャンペーンなんだ思考した。そして、直ちに国交省に対し、存在意義も含め非難する意見を国交省に文書で提示したのだ。想像するに、同様の意見が他からも多数あったたのだろう。当件がリコールとして再提示されたのだ。
追記
もう一つ、様々な問題を感じていても人々が押し黙る今の世について、最近読んだ本で、某弁護士が記した文意が極めて頷けるものであると感じたので記してみたい。それは、法律とか規則とか周辺の空気に沿うことでなく、一人が一人が内面の基準を持たぬ故だろう。そして、内面の基準とは、誇りとかプロ意識が相当するのではないか。という文意なのだ。もっと具体的に記せば、皆様方のお客さんから、いいよいいよ壊れてもとか、安くやってくれれ良いんだからと要求されても、それはできぬと断る局面があるだろう。それは、最終的に自分にも責任が及ぶという危惧もあるだろうが、それ以前にプロとして許せんという思いが出発点だろうと信じる。
そう、何か問題を感じても、それは経営者が決めることだからとか、誰々の問題だからという思考になり過ぎていないだろうかと問いたい。前に記した「影響を与える者」というのは、例え自らの危険を感じたとしても、また言っても無駄だと思えても、手を替え品を替え、何らかの意見を提示し続け、影響を与える者だろう。これが、私が考える「ささやかなオピニオンリーダー」だと思う。
ちなみに、先日紹介したふそうバスの車体骨格リコールの件であるが、そのリコール前年にはサービスキャンペーンとして提示されたものだった。私は、このサービスキャンペーンの提示をみた瞬間、こんな重要な問題が、なんでサービスキャンペーンなんだ思考した。そして、直ちに国交省に対し、存在意義も含め非難する意見を国交省に文書で提示したのだ。想像するに、同様の意見が他からも多数あったたのだろう。当件がリコールとして再提示されたのだ。
追記
もう一つ、様々な問題を感じていても人々が押し黙る今の世について、最近読んだ本で、某弁護士が記した文意が極めて頷けるものであると感じたので記してみたい。それは、法律とか規則とか周辺の空気に沿うことでなく、一人が一人が内面の基準を持たぬ故だろう。そして、内面の基準とは、誇りとかプロ意識が相当するのではないか。という文意なのだ。もっと具体的に記せば、皆様方のお客さんから、いいよいいよ壊れてもとか、安くやってくれれ良いんだからと要求されても、それはできぬと断る局面があるだろう。それは、最終的に自分にも責任が及ぶという危惧もあるだろうが、それ以前にプロとして許せんという思いが出発点だろうと信じる。