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現代日本人気質に大きな影響を与えた時代?

2021-04-13 | コラム
 日本人はそのパーソナリティというか国民性に、欧米とは異なるものを持つことに異論を持つ方は少ないだろう。例え、それが良いことであっても、悪い事例であってもだ。

 さて、今回記して見たいのは、果たしてその国民性なる気質が過去の何時の時代が大きな影響を与えたのかということがテーマだ。

 ともすると、日本は農耕民族でそこに始まりがあると云う話しは良く聞く。これを否定するつもりもないが、確かに国とか自治という組織体制が形作られ、過去もっとも長い期間、その組織体制が維持された時代はと問えば。「江戸時代」ということになる。S45年の敗戦で、新しい日本の統治時代が始まり現在で76年を経る。しかし、江戸時代は戦国、安土桃山を経て、徳川が江戸幕府を統治し始め260年余も続いた時代なのだ。続く明治時代が45年、大正時代が15年、昭和が64年、平成が31年と明治以降から平成の終わりまでを加算しても124年しか経ていないのだ。

 従って、江戸時代の260年という期間が如何に長期独裁政権だったかということを感じざるを得ない。独裁政権と記したが、確かに国家最高指揮官(将軍)は徳川家の世襲だが、一応だが日本国の最高の権威は天皇にあり、将軍は征夷大将軍として、天皇から認証された形を取っている。

 この天皇の権威は明治時代に大々的に祭り作り上げられ、国家元首として対外的にも宣言されたが、敗戦と共に占領軍(まあほぼ米国の意向)から、天皇は政治に関わるべきでないとの強い内示が示され戦後の憲法では、国の象徴としての存在という形になっている。それでも、例えば新内閣が組閣されたり、認証官とされる国家官僚の一部上位職については、事例を首相より受けると共に、天皇に謁見してお言葉を賜り認証を受けるという制度が今でも続いている訳だ。

 ところで江戸時代というと、士農工商という身分制度があったり、独裁政権で現在の様な法令の整備も不十分で、庶民は武士以外の庶民は大変厳しい時代だったというイメージを想像する方もいるのかもしれない。ところが、江戸時代は、現在の都道府県よりさらに細分化された各藩毎(この単位を通常国と呼び総数260余)に自治権を持って統制されており、各藩の長はそれぞれの**家なりのお殿様が世襲で納めるか、直轄領と呼ばれた幕府の所有地は、代官と呼ばれる現在の県知事+県警本部長+地方裁判所長以上の権限を有した者がやはり世襲により納めていた。

 また、殿御乱行ではないが、藩内に幕府が据え置かない不祥事などが生じると、最悪は藩のお取り潰しで代替者を当てるとか、よその藩から移動させるとかの処分を幕府は行って全国を統制して来た。

 先に士農工商の身分制度を記したが、実態は当時はそれ程そのことをとやかく上げつらうという者ではなかった様だ。それよりも戦乱がない時代において、最上位に位置する武士の没落が出始め、官職にありつけない浪人者と呼ばれる武士が増え始め、一方最下位の商人でも、俗に云われる豪商と呼ばれる成功者も現れ、現在の財閥系企業として引き続いている場合もある。また、士農工商なる身分制度が厳格ならば、身分違いの婚姻など認められ様がないと思いきや、正統的には認められない婚姻も、まずは養子縁組からとか裏技があった様だ。

 また、武士という中に、郷氏と呼ばれる、武士階級だが通常仕事は農民とかの身分制度があったりしたそうだ。後刻、この権利を転売したりして、商人で郷氏という者も生まれたという。彼の坂本龍馬だとか三菱の祖となる岩崎弥太郎なども商家だが郷氏格の家に生まれたという。

 私が何故、江戸の気風が今に続くかを思う時、いわゆる公務員たる官僚制度が役職名は異なれども、相当するものがそれぞれあり、その中には今で云うキャリアとノンキャリアに類似する上級職と下級職に分かれていたこと。また、現在の都道府県は、おおむね旧藩の幾つかを合わせたものであり、その境界は今での都道府県の境界と一致する場合が多い。

 そして、昔の国名(現在の県名)は、今でも結構強く残っており、例えば山口なら、「長州ですな」と話しにもよく出る。なお、**州というのはあくまで簡略名で、正式には「長門国」(ながとのくに)という。我が住まい地は、静岡県に属するが、ここは、西から遠江(とうとうみ)、駿河、伊豆の三つの国が合体している、さらに住まい地をを詳しく記すと、駿河の国の東端で、伊豆の国との距離は僅か1里(4km)程の位置関係だが、それぞれ駿州、もしくは伊州とも呼ぶ。

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