唐突ですがノモンハン事件のことを記してみます。
このノモンハン事件とは、太平洋戦争の2年前に勃発した満州国とモンゴル人民共和国の国境紛争における事件です。当時の、満州国とモンゴル人民共和国間も争いですが、実質は日本軍とソ連軍の衝突であった訳です。この事件における日本の損害は、戦死傷者総数が19千名にも及び、もはや事件と呼べるレベルでなく、正に戦争と云えるものでったと云われているのです。
このノモンハンの出来事のことは、私が愛読してきた司馬遼太郎氏も、生涯の思いとしてこの題材を書き表そうとしていたことは良く知られたことです。司馬氏の大作である「坂の上の雲」では、旅順攻略における乃木希典や伊地知幸介をくそみそに断罪し、児玉源太郎を賛美しています。この論法で云えば、ノモンハンでは、大本営の意志に背き独断専行した、服部卓四郎や辻政信の愚劣さを徹底的に描いたのだと思います。
しかし、ソ連崩壊後の情報公開によれば、ノモンハン事件でのソ連側損害は24千名にも上ったと公表されています。従って、必ずしも日本側が一方的に大敗したということでもない様ですし、服部卓四郎や辻政信が本当に愚劣だったのでしょうか。そして、司馬氏が書き表した乃木希典や伊地知幸介が本当に愚将であったのか、最近の私の思いにも変化を生じてきています。僅か100年程の以前での近代史においてさえ、歴史の真実の探求というのは難しいものだと感じます。それもこれも、太平洋戦争に至る原因者を一方的に特定し裁いた特定東京裁判史観というものが大きな影響を与えていることだと感じます。
何れにしても私は、例え負けると判った勝負おいても、人として尊厳を守るためには、あえて戦わざるを得ない場合があることを思います。もし、それを綺麗ごとだけで忌避したとすれば、国の独立はおろか、人の尊厳も得られはしないことは確かなことと感じるのです。