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【書評】靖国史観

2021-08-28 | 論評、書評、映画評など
【書評】靖国史観
【書評】靖国史観
 正直云って、悪文だとかで著者を責める意志はないが、引き込まれるものがなく、かなり端折って一応読み終えたというのが読後感だ。

 靖国神社は、祖国防衛のために亡くなった戦士を祭る神社だということは誰でも知っているが、その創設は明治政府のなしたことであり、明治維新前で祭られている有名人は吉田松陰くらいのものではなかろうか。勝てば官軍とは云う通り、クーデーターを起こして政権転覆に成功した薩長戦士が最初に祭られる。ただし、このクーデーターの間違いなく最大功労者の西郷隆盛は、本来なら現在の大鳥居と本殿の間にそびえ立つ像に居るはずが、何故か立つのは大村益次郎という世間一般には知られない人物だ。拙人も遙かな昔、司馬遼太郎に入れ込んでいた時期があり、例の司馬史観とうものに脳を毒されていた時代に、同人の「花神」という本で一応知ることになったが、今はその記憶も忘れ去りほとんど記憶にない。

 西郷隆盛は、いわゆる明治政府に疑義ありと逆らいいわゆる西南戦争を引き起こした逆賊として、靖国には祭られていない。ただし、明治も後年になり逆賊の汚名は解かれ、国民的人気もあったのだろう上野公園の立派な像が建立されたが、靖国には祭られてはいない。

 この本の著者がどの様な真意を持っているのか、冒頭に述べた通り引き込まれる要素が少なく、かなり斜め読みとなってしまい読み取れなかったが、靖国神社(と云うか国家が祭る墓園は他国でも同様だろう)は多分に政治的な神社であり、天皇の立ち位置と共に、多分にでっち上げた部分は多い様に思える。

 私は天皇否定論者のつもりはないが、長く続く日本の文化の一つとして程度の存在として認めているつもりだ。だが、明治時代の様に、祭り上げ、何事も天皇の名を借りて、ことの決断を図るという図式は大きな誤りを引き起こすことになると思える。

 現在では憲法で、天皇は国民の総意については疑問だが、象徴ということで、一切の政治には関わらないと云うことになっている。ところが、天皇の国事行為として、いわゆる認証管とされる高位官僚とか新内閣の認証式は、形だけのことではあるが、天皇が認証することで、一定の権威を残している。

 今の坊ちゃんお嬢さん政治屋が、靖国参拝しましたとマスゴミが報じているが、その脳裏に、ここに記した程度の内容が伴った上で、参拝しているのなら良いとは思うのだが・・・。形だけ祖国防衛のための英霊に頭を垂れた程度に考えているだけだとしたら、もっと云えば(おそらくそうではないかと思っているが)、司馬史観だけの世界で考えて行動しているだけだとしたら、これは由々しきことよと思わざるを得ないのだ。



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