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【書評】名門水野家の復活

2021-08-28 | 論評、書評、映画評など
【書評】名門水野家の復活
 何故この本を読もうと思ったのかは、我が住まい地「沼津」には、現在は城址も微かに残る程度だが、江戸時代の古地図だとか、現在の城がある地に良くある大手町などという地名字名も残り、その殿様が水野で駿河の国沼津藩の藩主だったことを予て知っていたからだ。

 まず、書の題名から名門水野家と記されていることだが、水野家の血筋は徳川家康の母となる於大の方(おだいのかた)に繋がるというところにあるのだろう。ところで、水野家も先祖は、沼津とは縁もゆかりもない、三河国岡崎の主審の様で、一度は没落しかけたが、その後、徳川の時代が安定するに伴い、その今で云う内閣に相当する江戸城内の、宮仕えとしての格が上昇していき、最終的には老中にまで至る。そんな中、地位の上昇と共に家禄も増える訳だが、初代沼津藩主となるのが第8代水野家水野忠友で、沼津城の築城も許されることになったそうだ。

 この水野忠友ともオーバーラップする江戸中期の高名な老中として、田沼意次という人物がいる。老中であり相良藩主だが、藤枝辺りに行くと、今でも田沼街道と云われる道路がある。この田沼意次も、在任中に相良を訪れたのは数回しかない様だが、こうして今でも目通りした街道に名を残すのだから、その意味では当時は相当に高名に聞こえたのだろう。

 ところで、私の好きな歴史物小説家で鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛け人藤枝梅安などの連続物小説を記した、池波正太郎(故人)が居る。先に上げた3本のシリーズは、初読後十数年を経るが、今まで何回読み返したことか、10回までとは云わないが、5回は読み返していると思う。こういう、一度読んだ小説をある程度の期間を経て、読み返して面白いという作家もしくは作品、極めて珍しい部類になるだろう。これ以外に、私はその様な感を持つ小説に出会ったことはない。

 前口上が長くなったが、この鬼平犯科帳と剣客商売には田沼意次が時々顔を見せる。田沼意次は先にも記した様に、その名を現代にも残す大政治家なのだが、一方賄賂政治を行ったと云う評判も残されていて、池波正太郎氏も十分その辺りの風評は知った上で、評価できるとして物語に取り入れているのだろう。

 ところで、水野家の話しに戻るが第9代水野忠成だが、田沼を超える賄賂政治を行ったと云うことを、この本で知った。

 具体的記には、田沼の場合は、ある大商家が頼み事を田沼にしつつ200両を差し出したとする。その後、別の大商家が掛かる同一問題で頼み事をした場合、田沼は既に200両もらっていることをほのめかす。すると、その商家はさらに400両と差し出し、再度願いを請う。この場合、田沼は、当初の200両をもらった商家を呼び出し、金を返金しつつ、さらに頼みがあったことをほのめかす。そして、さらにと、賄賂は増額されて行くのだった。

 ところが、水野忠成の場合は、もらった金を返すことは一切なかったとも記されているのが、この本で知る、一番の注目点となった。

 しかし、田沼にしても水野にしても、現代の世襲政治家に近いものがある様に感じる。つまり、現在は藩だとかその象徴たる城楼こそないが、選挙地盤たる地を、実体上代々譲り受けている。しかし、前首相の安倍シンゾウなどは、地元も山口に家はあるのだろうが、年に数回返ればいい方じゃないだろうか。そもそも、シンゾウは、幼少期から東京で育ち、ろくろく地元たる山口には行くことはなかったとされる。田沼にしても水野にしても、同じで藩主と云えども、余程の行事でもなければ、地元に帰る(というより行く)ことはなかったハズで、単にその地位に着いているというに過ぎない。徳川独裁政権の江戸時代なら、こうした所業もまだ、幕府の都合で許されるのかもしれないが、選挙地盤を既得権として勝手に引き継ぎ、政治家を家業化させる政治屋は、民主主義の根幹を破壊するものだろう。



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