戦後の日本は米国の庇護の基に発展してきました。しかし、真の独立国家としてどうなのかを思った時、甚だ脆弱な国であることは疑い様のないことでしょう。日米安保同盟による米国の軍事力の養護の基に、日本の主権は維持されてきたのは確かなことなのです。この様な米国依存の関係が戦後60年以上も続いてきたのですが、これも敗戦国であるが故の宿命でもあります。
この、米国ですが非常に懐の広い民主自由主義国家ではあります。しかし、自国の利益のためには、なりふり構わず周辺国に圧力を掛け続けるという傲慢さを合わせ持っています。バブル崩壊以来、日本経済は相変わらずの低空飛行を続けていますが、これも米国の意向に沿った金融ビックバンのなした罪であろうと感じます。この様な、あまりにも強い米国主導の流れの中で、本当に日本に主権があるのであろうかと思うことも度々あります。日本は米国の準植民地ではないのかとすら感じられることがあります。今回の米国発の世界的不況の状況を見ても、そのことは明かなことです。
では、どうすればこの様な関係を解消とまで行かなくとも抑止できるのでしょうか。それには米国への依存関係を薄めて行く必要があることでしょう。また、世界の世論を巻き込んだ上で、しっかりとした正論として米国への提言を行って行くべきことが大切だと感じます。
さて、ここからは空想国の話しとして記します。この国は、親となる国から原料を100%輸入し、国民が生産する総ての製品を親となる国へ100%輸出している工業国です。従って、国民の生活の糧は、その総てを親となる国へ依存する植民地といえる国ですから、実質の主権は持てないという宿命を持ちます。しかし、形としての自治組織(傀儡政権ですが)を持ち、自治組織の為政者達は国民の幸福と繁栄を謳い上げています。しかし、それが欺瞞に満ちた絵空事であることは、宿命的問題として明かなことです。そんな国に真の主権を持つことは、革命を起こし独立することでしか得られませんが、それは国の存在自体を否定してしまうという非現実的なことです。
この様な空想国に、国民の生活を低下させるべき種々の政策への抑止力を持つことができるのでしょうか。実は、この国にも一応の国家防衛組織が存在します。しかし、この防衛組織は、近年弱体化しつつあり、ただ組織があるだけという空虚な実態となっています。防衛組織員達は、協調等と言い訳を繰り返しますが、国民の一部はそんな欺瞞を強く感じつつありますが、それでも抑止力の拠り所たる組織は必要なのだろうと自覚もしているのです。
将来を思う一部の国民は、憂い、悩み、嘆きますが、その他の多くの国民は多少の不満を感じこそすれ、将来のことを深く思うこともなく日々の生活を過ごしているのが現状なのでしょう。しかし、真の国民の幸福や地位向上は得るためには、総ての国民が自らの社会的使命や置かれた立場を自覚し、正論としての意見を持たなければならないと感じます。特に、国家防衛組織の役員達は、そのことを強く認識し発言し行動する必要を改めて感じます。