政治の右傾化は誰の責任か?
失われた10年というのが20年になり、今や30年を越えたのにも関わらず、それが国民全体の論議にもならずいることがある。当然、日本のGDPは一応世界第3にあるとはいえ、それは人口12千万に対してのものだから、1人辺りのGDPでは年々順位を下げ、今や世界ランク27位とかだと聞く。第3位のGDPランキングも、早晩ドイツ辺りに抜かれるのは確実だろう。それだけ、日本は世界の先進国と云われる国の中で、負け組になっているのだ。
このGDPランキングが下がるにしても、それなりに成長していれば良いのだが、一般庶民である私に視線から眺めればその様に捉えられない。
このことは、派遣、契約社員など非正規社員の割合が正規社員を越えたのはもうだいぶ以前のことだろう。1990年早々にバブル経済が弾け、2000年のころ、サラリーマンであった私の給与も、引き下げられた。その後も、各企業で、成果給だとかして、極一部を除いて、引き下げを図る風潮は、今でも続いている。あれから今日に至るまで、リストラだとか希望退職だとか、不遇を負った方は、相当な運だとか稀少価値ある能力がない限り、第2、第3の就職は、1段どころか2段3段と給与レベルを下げねば不可能だろう。
この様な労働環境の中、従来でも夫婦共働きというのはあったのだが、現在より専属主婦の比率は高かったが、家庭の経済環境がそれを許さなくなり主婦の就業が増加した。それを一概に悪いとは思わないが、それにしては、女性の給与が安すぎる。都会では未婚女性が、家賃を支払い生活するのは困難さがあることを、時々人づてに聞き知る。この事象と、結婚しない男女が増えつつ、また種々理由はあろうかと思うが、結局のところ経済的根源で離婚する事例が多いというのも相関を感じるところだ。
こういう話しを聞けば、それは誰が悪いのだということになるが、政治が悪いというところに結論は流れるが・・・。確かに現在も過去も、政治は良かったとはいえないと思える。ただし、その政治家の中で、国家権力の為政者(中枢を担う内閣構成員)が最も怖れるのは何かと考えて見たとき、それは国民の声たる世論というべきものだろう。
報道などで、さまざまな他国で、暴動が起きたという話しは時々ある。それを見て、酷い国だあまりに治安維持が劣るとか、政権が過酷過ぎるからさだと冷笑している日本人は多い様な気がする・・・。確かに日本は世界の中でも治安は良い方だろう。しかし、現在の日本が、ある意味で過酷さが増しているのは確かだと思えるが、あまりに意義を唱えず、じっと自己責任という思いでこらえている国民が多い様に思える。このことは、失われた30年の中でも、さらに増えた様に受け取っている。
この理由として、日本人は自己主張できない気質だからとか、村意識が強く村八部を怖れるとか、様々に云われるが、果たして昔からそうだったのか・・・。私は生まれていたが未だ幼児で、当時は直接意識できなかったが、ものの本で知る1960年頃の安保反対運動で、国会を取り巻くデモのおびただしい群衆と規制する警察の中で、樺沢さんという女性が1名亡くなったという出来事があったと知る。
今の岸田首相は、防衛費倍増と云ってのけているが、これはそもそも故安倍元首相が地ならした路線付けに沿ったものだから、その点では驚きはないが・・・。そもそも論として、そういうことに踏み込む地ならしを平気でするまでになった時点で驚き呆れ悲嘆していた。しかし、これについて、一部の言論人は予て警告として指摘して来てはいたが、マスメディアも多くの国民も異議も感心もないように見える。
これを読んでくれている方で、こういう経験をしていると思う。社内とか知人間で、政治の話しを現在は余りすることは多くないと思うが、希にそういう話しになり、先の様な政治の問題点をして、同意なり意見を質すと、ほとんどの場合「そうなんですね、あなた政治家に立候補したら」という返答があるだろう。つまり、自己の思考を表すことを忌避し、不可能なことは判りきっていて体裁の良い回答をして話しをストップさせるというものだ。決してそういう人物をけなすまでするつもりはないが、何らかの質問なり意見を問われれば、よほど感心がないのか、それともあえて意見表明を怖れるのか、そういう人物が増えたと感じる。これが、90年のバブル崩壊以前だと、もっとオープンで率直な意見交換が多かったと思えるところだ。それだけ、失われた30年を過ぎて日本人の気風が内向きになった様に思えてならない。
失われた10年というのが20年になり、今や30年を越えたのにも関わらず、それが国民全体の論議にもならずいることがある。当然、日本のGDPは一応世界第3にあるとはいえ、それは人口12千万に対してのものだから、1人辺りのGDPでは年々順位を下げ、今や世界ランク27位とかだと聞く。第3位のGDPランキングも、早晩ドイツ辺りに抜かれるのは確実だろう。それだけ、日本は世界の先進国と云われる国の中で、負け組になっているのだ。
このGDPランキングが下がるにしても、それなりに成長していれば良いのだが、一般庶民である私に視線から眺めればその様に捉えられない。
このことは、派遣、契約社員など非正規社員の割合が正規社員を越えたのはもうだいぶ以前のことだろう。1990年早々にバブル経済が弾け、2000年のころ、サラリーマンであった私の給与も、引き下げられた。その後も、各企業で、成果給だとかして、極一部を除いて、引き下げを図る風潮は、今でも続いている。あれから今日に至るまで、リストラだとか希望退職だとか、不遇を負った方は、相当な運だとか稀少価値ある能力がない限り、第2、第3の就職は、1段どころか2段3段と給与レベルを下げねば不可能だろう。
この様な労働環境の中、従来でも夫婦共働きというのはあったのだが、現在より専属主婦の比率は高かったが、家庭の経済環境がそれを許さなくなり主婦の就業が増加した。それを一概に悪いとは思わないが、それにしては、女性の給与が安すぎる。都会では未婚女性が、家賃を支払い生活するのは困難さがあることを、時々人づてに聞き知る。この事象と、結婚しない男女が増えつつ、また種々理由はあろうかと思うが、結局のところ経済的根源で離婚する事例が多いというのも相関を感じるところだ。
こういう話しを聞けば、それは誰が悪いのだということになるが、政治が悪いというところに結論は流れるが・・・。確かに現在も過去も、政治は良かったとはいえないと思える。ただし、その政治家の中で、国家権力の為政者(中枢を担う内閣構成員)が最も怖れるのは何かと考えて見たとき、それは国民の声たる世論というべきものだろう。
報道などで、さまざまな他国で、暴動が起きたという話しは時々ある。それを見て、酷い国だあまりに治安維持が劣るとか、政権が過酷過ぎるからさだと冷笑している日本人は多い様な気がする・・・。確かに日本は世界の中でも治安は良い方だろう。しかし、現在の日本が、ある意味で過酷さが増しているのは確かだと思えるが、あまりに意義を唱えず、じっと自己責任という思いでこらえている国民が多い様に思える。このことは、失われた30年の中でも、さらに増えた様に受け取っている。
この理由として、日本人は自己主張できない気質だからとか、村意識が強く村八部を怖れるとか、様々に云われるが、果たして昔からそうだったのか・・・。私は生まれていたが未だ幼児で、当時は直接意識できなかったが、ものの本で知る1960年頃の安保反対運動で、国会を取り巻くデモのおびただしい群衆と規制する警察の中で、樺沢さんという女性が1名亡くなったという出来事があったと知る。
今の岸田首相は、防衛費倍増と云ってのけているが、これはそもそも故安倍元首相が地ならした路線付けに沿ったものだから、その点では驚きはないが・・・。そもそも論として、そういうことに踏み込む地ならしを平気でするまでになった時点で驚き呆れ悲嘆していた。しかし、これについて、一部の言論人は予て警告として指摘して来てはいたが、マスメディアも多くの国民も異議も感心もないように見える。
これを読んでくれている方で、こういう経験をしていると思う。社内とか知人間で、政治の話しを現在は余りすることは多くないと思うが、希にそういう話しになり、先の様な政治の問題点をして、同意なり意見を質すと、ほとんどの場合「そうなんですね、あなた政治家に立候補したら」という返答があるだろう。つまり、自己の思考を表すことを忌避し、不可能なことは判りきっていて体裁の良い回答をして話しをストップさせるというものだ。決してそういう人物をけなすまでするつもりはないが、何らかの質問なり意見を問われれば、よほど感心がないのか、それともあえて意見表明を怖れるのか、そういう人物が増えたと感じる。これが、90年のバブル崩壊以前だと、もっとオープンで率直な意見交換が多かったと思えるところだ。それだけ、失われた30年を過ぎて日本人の気風が内向きになった様に思えてならない。