戦後の発明でもっとも現在の人々の活動に影響を与えたものは何であろうかを考えた時、そのトップにコンピューターの発明が入るのは間違いないことと思います。人類初のコンピューター開発は、1946年の米国でのENIACであると伝えられます。このコンピューターは、大砲の弾道計算に利用するものとして設計されたと云いますが、約18千本もの真空管を使用し、総重量30トンという巨大なものだったということです。その後、コンピューターは、トランジスタの使用等で実用化がなされ、銀行のオンラインシステムや鉄道の予約システム等に次々と採用されて行き、社会との関わりを増して来たのです。
しかし、昔のコンピューターは、専用ルーム一室を占有するほどに巨大であり、その価格も極めて高価であって、とても個人が私的に利用できるものではなかったのです。しかし、そんなコンピューターの概念を激変させたのがマイクロプロセッサー(MPU)の登場なのです。この登場は1971年、米国インテル社が開発発表したものです。そして、ここで忘れてはならないのが日本人の関わりです。このマイクロプロセッサーの開発には、当時電卓の設計者であった嶋正利氏が、電卓の将来的な機能拡張を見込み、プログラム可能なICチップとして、インテル社にその開発を依頼し、それが初のマイクロプロセッサーの開発へと結び付いたのです。
その後、MPUは扱える桁数の拡大と処理速度の向上を経て、1980年頃からパーソナルコンピューターとして個人が利用できるものとなっていきました、そして、1990年代になるとインターネットの開発(これも米国の軍事技術の派生)により、そのネットワーク機能と結びつき急激に普及し現在に至っているのです。
現在、公的、私的な活動にコンピューターおよびその関連技術は極めて大きな関わりを持っています。しかし、特にパーソナルコンピューターで危惧されるのは、そのマイクロプロセッサーとオペレーティングシステム(基本ソフトウェア)に、米国の特定企業への一極集中が生じていることです。それはインテル社とマイクとソフト社なのですが、未来の人類の幸福を考えた時、特定の国もしくは企業に依存するシステムへの懸念を持つ方は、私も含めて多くの方が存在しています。かつては、日本でも坂村教授が提唱するトロンOSへの期待が高まり、行政官庁や教育機関にいて、活用して行こうという機運が生じた時期もありました。しかし、これも米国の圧力で、潰されてしまったという経緯があるのです。もっとも、トロンOSは、パソコンには利用されませんが、種々の電子機器の組み込みMPU用のOSとしては、活躍している様ですが。
この様な米国依存のコンピューターシステムへの懸念は、日本だけでなく欧州諸国においても、強く持たれている様です。そんな中で登場してきているのが、従来から大学や学術研究用を中心に利用されてきたユニックスをベースとしたリナックス(Linux)でもあるのです。もっとも、コンピューターの利用は、OSだけで済むものではなく、様々なアプリケーションソフトと、様々な周辺機器を駆動するソフトウェア(デバイスドライバーと呼ぶ)が揃って、成り立つものでありますから、現在これだけ圧倒的なシェアを握ってしまった、インテルとマイクロソフトの占有を崩してくのは、なかなか容易ではないのでしょうが、その努力は大げさですが、世界の幸福のためにも必要なのだろうと感じます 。
※添付写真は、今から18年前となる1990年に撮影した、私のパソコンの2号機です。初代の16ビットPC(確かクロック10MHz)から、新しく買い替えた32ビットPC(クロック速度20MHz)です。この時には、未だHDD(ハードディスク)も装着しておらず、5インチフロッピーディスクだけで、ワープロ(一太郎)や表計算(ロータス123)を、利用していたものでした。価格はPC本体だけで32万円位したと記憶しています。現在とは隔世の感を持ちます。