私は、共産主義を信奉するものではありません。しかし、民主主義を前提とした資本主義(キャピタリズム)に賛意を感じつつも、このところの世の流れには種々のその限界を感じつつ過ごして来ました。そんな中、最近読んだ「スーパーキャピタリズムの恐怖」(週間ダイヤモンド08/1/5新年号)という表題のコラムで米国のロバート・B.ライッシュのいう方が記されているのを見ました。私の感じている実感を、さらに端的に表した内容であり、極めて感銘を受けたのです。
同氏は云います。1945年~75年頃までは、民主的資本主義が成り立っていた時代であったと。企業間の競争がさして激しくなく、大企業がある程度の社会的責任を肩代わりし、経営者は公共的な視点をもつ人物として尊敬されていた。収入や富の不均衡も、どの時代より小さかったと。そして、最後に同氏は記しています。今のままスーパーキャピタリズムが続けば、公共政策はやがて特定の企業や産業の利益のみを利するものとなり、公平性は必ずや失われるはずであると。 「スーパーキャピタリズムの恐怖」(週間ダイヤモンド08/1/5新年号)
同氏は云います。1945年~75年頃までは、民主的資本主義が成り立っていた時代であったと。企業間の競争がさして激しくなく、大企業がある程度の社会的責任を肩代わりし、経営者は公共的な視点をもつ人物として尊敬されていた。収入や富の不均衡も、どの時代より小さかったと。そして、最後に同氏は記しています。今のままスーパーキャピタリズムが続けば、公共政策はやがて特定の企業や産業の利益のみを利するものとなり、公平性は必ずや失われるはずであると。 「スーパーキャピタリズムの恐怖」(週間ダイヤモンド08/1/5新年号)