グソーではなく愚相(宰相)
グソウとは沖縄方言で言う後生(後生:ごしょう)のことで、死後の世界を表すが、これが広く世に広まったのは映画「亡国のイージス」に登場する架空の化学兵器としてだ。ここで云うグソウとは"愚相"として相の筆頭たる宰相(さいしょう)を指す。
ということで愚宰相のことを記すのだが、現下の人物のことだ。この者が就任する時、私も含め多くの者が、顔相は穏やかだし、言語は丁寧に聞こえるし、これは安倍、管と続いた、悪相とか悪辣言葉に辟易していたから、ある意味期待を持ったと思う。
ところがどうだ、1年ほどを経て実感せざるを得ないのは、一見教養がありそうな顔相、言葉も比較的明瞭で毒は感じないものの、実際の行動とが遊離し過ぎていることを感じさせるものばかりだ。彼が繰り返す「丁寧な説明」とか「丁寧な説明をしてきたところだが」だが、何処が丁寧なのか、ましてや「して来た」に至っては、何処でしたという異論を感じることばかりだ。
彼を見てきて、こういうタイプはサラリーマンにも時々いるが、次にどういう行動にでるか、容易に察しが付く極めて底が浅いタイプに見える。もっと端的に云えば、頭が弱く、およそ自分で物事を決定できず、誰かの言葉を聞き頷くと単に演じる三文役者だと云うことが判る。
安倍、管と、気が短くその心情を即座に表すが、独善的で国民の安寧など心から思ったことはないが、ある意味でそのことを自他共に露呈させていた訳だが、彼にも国民の安寧など思っちゃいないが、自己の野望とかこれだけは変えるというある意味歴史に自己を刻みつけようという野心はない様に見える。人物としては、悪意や野望がないだけ増しという見方も一般人としては評価されるのだろうが、一国の宰相として、これは許されざることで、確実に国民を不幸に導く点では、安倍、管を上回る様に思える。
グソウとは沖縄方言で言う後生(後生:ごしょう)のことで、死後の世界を表すが、これが広く世に広まったのは映画「亡国のイージス」に登場する架空の化学兵器としてだ。ここで云うグソウとは"愚相"として相の筆頭たる宰相(さいしょう)を指す。
ということで愚宰相のことを記すのだが、現下の人物のことだ。この者が就任する時、私も含め多くの者が、顔相は穏やかだし、言語は丁寧に聞こえるし、これは安倍、管と続いた、悪相とか悪辣言葉に辟易していたから、ある意味期待を持ったと思う。
ところがどうだ、1年ほどを経て実感せざるを得ないのは、一見教養がありそうな顔相、言葉も比較的明瞭で毒は感じないものの、実際の行動とが遊離し過ぎていることを感じさせるものばかりだ。彼が繰り返す「丁寧な説明」とか「丁寧な説明をしてきたところだが」だが、何処が丁寧なのか、ましてや「して来た」に至っては、何処でしたという異論を感じることばかりだ。
彼を見てきて、こういうタイプはサラリーマンにも時々いるが、次にどういう行動にでるか、容易に察しが付く極めて底が浅いタイプに見える。もっと端的に云えば、頭が弱く、およそ自分で物事を決定できず、誰かの言葉を聞き頷くと単に演じる三文役者だと云うことが判る。
安倍、管と、気が短くその心情を即座に表すが、独善的で国民の安寧など心から思ったことはないが、ある意味でそのことを自他共に露呈させていた訳だが、彼にも国民の安寧など思っちゃいないが、自己の野望とかこれだけは変えるというある意味歴史に自己を刻みつけようという野心はない様に見える。人物としては、悪意や野望がないだけ増しという見方も一般人としては評価されるのだろうが、一国の宰相として、これは許されざることで、確実に国民を不幸に導く点では、安倍、管を上回る様に思える。