私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

丹那トンネルのこと

2015-09-12 | 沼津そして伊豆周辺
 JR東海道線の熱海駅と函南駅を結ぶ路線のほとんどを丹那トンネルが貫通しています。(全長7,800m)このトンネル貫通のお蔭で、東海道線は御殿場回りの山岳路から逃れ、スピードアップできたのでした。

 トンネル着工は大正7年(1918)、計画8年ということでスタートしたそうです。しかし、大量湧き水などで工事は難航し、16年という期間を経て昭和9年(1934)に完成したといいます。その間の殉職者は実に67名に達したと記録されています。心霊スポットなる古いトンネルは各地にありますが、ここではその様なうわさはありません。

 丹那の名称ですが、トンネルの数百メートル上部の地は、丹那盆地と呼ばれる地であり、そこから取られたのでしょう。トンネルが作られるまでは、水豊かでワサビの栽培などが行われていたそうです。今は、水豊という感じはまるでなく、牧畜などが行われている寒村となっています。

 この丹那トンネル掘削中の丹那では、水が出なくなったことによる村人の工事事務所への苦情騒動がたびたび行われ、このことは吉村昭氏の「闇を裂く道」に詳しく述べられています。

 丹那トンネルの北側に数十メートル離れ、若干高さを上げて(湧き水を逃れるため)平行に新丹那トンネルが貫通しています。もちろん新幹線用のトンネルですが、新幹線の開通より遙か以前の昭和16年(1941)に着工されています。その後戦況悪化により工事は中断していました。これは当時、当時弾丸列車(新幹線)という広軌複線の建設計画から起工されたものでした。

 吉村昭氏の小説でも述べられていますが、16年の工事期間中に北伊豆地震が起き、トンネル切り端が断層のためトンネル幅程も動いたということが記されています。この地は伊豆半島のフィリピン海プレートと本州南半分を占めるユーラシアプレートのせめぎ合う地なのです。当時の断層痕は丹那盆地に保存されていますが、また何時かは巨大地震によりトンネルがぶち切れる自体になるのかもしれません。


※トンネルポータルの赤印内に 2578 と2594 の数値プレートがありますが、皇紀年を表しています。2576=西暦1918年(大正7年)、2594=西暦1934年(昭和9年)で、着工と完成を表示している訳です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。