私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

世界航空産業興亡史のこと

2008-08-23 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 またまた書評となりますが「なぜボーイングは生き残ったのか」(山崎明夫:著)という本を、あっという間に読んでしまいました。この本は、ボーイング社の歴史を中心に記されてはいますが、正に第二次大戦後の商用ジェット航空業界を取り巻く興亡史であると感じます。

 第二次大戦中、B17やB29等の軍用爆撃機で急成長したボーイング社ですが、戦後の民需用航空機の市場では、必ずしも順風だった訳ではなかったのです。その頃、圧倒的なシェアを保持していたライバルは、ダグラス社でした。しかし、そんなダクラス社も経営は斜陽して行き、マクドネル社と合併しますが、最終的にボーイング社に吸収され幕を閉じます。

 ボーイング社を代表する航空機である747型機(通称ジャンボ)ですが、その登場は1970年でした。しかし、この500人クラスを乗せる巨人機も、当初の売れ行きは順調だった訳ではなかった様です。そして、この頃の民需航空業界の権力者たるリーダーは、航空機メーカーではなく航空運輸会社たるパンナム社であったのです。パンナム社はボーイング社やダグラス社を手玉に取り、自社の意向に沿った機体の開発を促しました。そんなパンナム社の意向を取り入れた747は、多人数の乗れる巨人機としてでなく、巨大な貨物機への転用を睨んだ設計コンセプトを持っていたと云います。だから、操縦席を胴体上部に設置し、そのため部分的な二階建て構造となったとのことです。

 この頃のボーイング社およびパンナム社では、来たる航空旅客需要の柱として、超音速旅客機の運用に狙いを定めていた様です。折しも英仏合作によるコンコルドが就航した頃です。ボーイング社も米国の大規模な政府援助の元で、社運を賭けて次期超音速旅客機であるSSTの開発を進めていました。しかし、時代は変わり、衝撃波やオゾン層破壊と云った環境問題から次期SSTの政府援助は打ち切られ、計画は頓挫してしまいます。ボーイング社は大幅なリストラ等を行い、危機を切り抜けます。また、権勢を誇ったパンナム社も、オイルショックによる燃料費高騰や航空運賃の競争激化の中で、急速に疲弊し1991年初頭に破産し幕を下ろすのです。

 ダグラスなき後のボーイング社が順風漫歩だったかと云えば、決してその様なことはありませんでした。民需航空機のアメリカの一国独占を脅威する欧州は、その力を結集してエアバス社を設立したのです。世界の民需航空機の市場で、ボーイング社のシェアは一時は70%にまで達したことがある様です。しかし、現在の世界シェアは、ボーイング社とエアバス社が、ほぼイーブンに分け合っている様です。しかし、それもこの先永遠に続くという保証は何もないのです。

 この本を見て改めて思いますが、正に万物流転、世に絶対はないのだと感じます。戦後60年、世界は局地的な戦争はあったものの、ある程度平和な時代が続き、先進諸国に限定されるのでしょうが人々は豊かさを増してきました。しかし、そんな平和な時代であっても、世は様々な変化を生じており、それに柔軟に対応できない企業は陶太されて行くことを改めて強く認識させられます。これは、企業という組織が、その外部およぶ内部からの、様々な要請や批判に曝されるのが宿命でありますが、それらをただ跳ね返し覆い隠している様な組織は、決して未来はないのだろうと思います。そして、昨今起こりつつある世界的なエネルギー資源の需要逼迫による高騰は、世界的にこの様な新たなドラマを生み出して行くのではないかとも感じられます。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。