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ルポルタージュ・損害調査員 その10【調査員に求められる能力】

2022-06-26 | コラム
ルポルタージュ・損害調査員 その10【調査員に求められる能力】
 既にこのシリーズも10回目となったが、この損保調査員に求められる能力ということで記してみたい。

 まず一番に求められるのは、保険約款に規定された各種要件に合致する間違い事実関係かを判断し、そのことを単なる疑わしいではなく、第三者に証明できる科学的および合理的な物証なりを示して説明できる能力であり、そのことを突き詰めるべく努力していくモチベーションを有しているかと云うことだろう。

 昨日、「自動車検査員に告ぐ」というブログを記したが、自動車検査員は検査員という国の権限を移植された職種であり、いかなる局面であっても、その権限行使においては、企業の序列に関係なく判断なければならないという宿命がある。こういう点では損保調査員はそこまでの権限も規定もないのだが、損害保険会社が約款でで定めている規定は、企業規則より上位にある規則であり、それを最優先するのは当然であろう。つまり約款を最上位と認識する場合にあたる行動を私たちを導いた優秀な先輩達は「査定正義」と称していたのだが、この査定正義を最優先に行動するのが本来の姿だろうと信じている。ただし、各損保の社是とか遮那規則に、その様なことは記されていない。それは何故か思考してみれば、損害調査員を保険会社の下層部門の者との認識した上で、上の命令に従う者でなければ困るという意識があるからであろう。こういう認識が残る以上、各保険会社が提示するコンプライアンスとか、適正な保険金の支払いという命題は、決して果たされず、歪んだものとなる様になるだろう。

 それでは、もう少し損害調査員に求められる能力として細分化して述べていきたい。ここで能力として記す内容をともするとその知識を保持することだと浅く見ている者が極めて多いが、能力とは知識と判断する能力と、それを格別車両や事故に精通していない第三者に科学的もしくは論理的に伝える能力を合わせたものだ。よく行われているのに見積研修と云うのがあるが、幾ら見積の妥当性を伝えたところで、これを第三者に科学的および合理的に伝える能力が欠落しているとすれば、まったく意味ないものとなろう。

 さて、私の場合で云えば、まず自動車の構造的もしくは故障探求的知識と、それを説明する能力がベースにあり、そこに車両ボデー構造だとか修理技法の知識が付与なされることになった。さらに、事故を俯瞰して眺められる「事故再現の能力」というべきものが付加されて、現在の自分があると認識している。これらは、諸先輩に教えられたもの、必ずしも教えられた訳ではないが、その行動とか発言から理解できたもの、そして書籍などから知り得たもの、自らの活動で認識して来たものなどで構成されていると理解している。

 また、私の現在持つ能力が最高のものだという意識はなく、自動車の構造、交通法令の変化なども変化しつつあり、また事故における自動車工学的なすべても問題が整理され解明なされていない未知の問題も未だ残されているのが現状なのだ。その様な点では、私の現在の能力などは、未だ完成されたものではなく、日々の新たな知識の付与とか新たな体験により、より高次な世界があることを認識しなければならないのだろう。


#損害調査員ルポルタージュ #調査員に求められる能力とは


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