この7月に、日本国内の新たな世界遺産として相当数が登録されました。登録された各地、それぞれの観光振興の関係者は、これを機会に新たなチャンスが芽生えると喜んでいると思います。この内、と我が住まい地からも近い「韮山反射炉」が含まれます。この反射炉には過去何度も訪問していますし、その設計施工者としての韮山代官である江川英龍の様々な非凡な才知と共に感心を持って接して来ました。歴史的に価値あることは疑う余地のないところです。しかし個人的思いとしては、世界遺産がこのレベルで認証されてしまうことに、ちょっと失望感(もっと希少である意味壮大な価値を期待する心から)を持つ次第です。
それと、今回7月の日本各地での登録は「明治日本の産業革命遺産」との表題を付して日本各地のエリアを1~8までに区分しています。その中で、明治としながら、この韮山の反射炉も江戸末期の造営ですし、産業革命なる言葉は未だかつて聞いたこともない造語とも思え、なんだか不信の思いを持つものです。また、随分、政治的な臭いがするものです。
江川英龍について
世襲江川家の36代目の当主、伊豆国の代官である。時あたかも幕末、黒船来航などで、国防や海防への意識が高まったが、これらの先進的かつ実務的な提言を行ったのが江川英龍である。この韮山反射炉の他、江戸の台場(現在のお台場でなくレインボーブリッジ下の本来の台場)の設計、施工を幕府から任されている。この他、パン素として日本で初めてパンを焼いて作ったと伝わる。
それと、今回7月の日本各地での登録は「明治日本の産業革命遺産」との表題を付して日本各地のエリアを1~8までに区分しています。その中で、明治としながら、この韮山の反射炉も江戸末期の造営ですし、産業革命なる言葉は未だかつて聞いたこともない造語とも思え、なんだか不信の思いを持つものです。また、随分、政治的な臭いがするものです。
江川英龍について
世襲江川家の36代目の当主、伊豆国の代官である。時あたかも幕末、黒船来航などで、国防や海防への意識が高まったが、これらの先進的かつ実務的な提言を行ったのが江川英龍である。この韮山反射炉の他、江戸の台場(現在のお台場でなくレインボーブリッジ下の本来の台場)の設計、施工を幕府から任されている。この他、パン素として日本で初めてパンを焼いて作ったと伝わる。