私の思いと技術的覚え書き

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生き甲斐の意味を考える 再録

2018-02-11 | コラム
 人(当然自己を含め)は、落ち込んだり、嘆いたり、不満をぶつけたりと、気分が低空飛行を続けることが、誰にもままあるのだろう。これは、云ってみれば「生き甲斐」を感じられなくなるという状態だが、かなり以前記した書きを再録してみる。

生き甲斐の意味を考える 2012年3月12日

現代社会では、生き甲斐を感じ生きる者が少ないと云われます。かくいう私も同感を思うのです。そんな中、過日読んだ「生きがいシェアリング」(野田正彰著・中公新書)という本で、生き甲斐のことを.以下の様に記していたので、その文意と若干の私見を添え書き留めてみます。

高度成長期(いやバルブ時代までと云って良いのか)、仕事が生き甲斐だと公言する方も多かったと思います。企業の発展と職場での地位の向上が、それを感じさせたのでしょうし、それはそんな時期を生きた私の中にもあったと感じます。

さて、生き甲斐とは、生きているという実感、充実感を意味する言葉です。しばしば生き甲斐は自分で作るものだと言われます。だが、生き甲斐は自分一人で湧いて来るものではない様です。例えば「愛する人の靴の音にすら生き甲斐を感じる」といった場合、相手と自分の深い関心の中から生き甲斐を組み上げているのです。生き甲斐とは、どうやら他者との相互関係の中にあると考えられるのです。それを定式化すれは、次の様になるでしょう。

生き甲斐=他人からの関心×それに応えているという自負

これは見方を変えれば、私が身近な人の生き方、興味、得意とするものなどに関心を示すならば、相手はそれに励まされて生き甲斐を感じるということなのです。

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