私の思いと技術的覚え書き

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仕事の段取り

2023-07-08 | コラム
仕事の段取り
 昔から、多くの仕事で段取り八分という云い方がされ、段取り、すなわちこれから進める仕事の進め方を思考し、業務を進めることが大事だとは良く聞く。ところが、これがほとんどないという仕事もある。

 段取りがさほど必用ない仕事を想像してみると、その代表的な仕事としては、マスプロダクション(大量生産)の流れ作業とかだろう。業務中は担う作業を業務中繰り返すだけで、単調な作業が延々と繰り返されるが、その日の業務開始前に今日の注意を聞く程度と、手回り工具の点検などをする程度で、大した段取りということを考える必用はないのかもしれない。それとか、今で云えばコンビニの店員などなら、さほどの段取り思考は無用なのかもしれない。

 ところが、これが少量もしくは一品生産で、類似のジャンルとは云え、作るもしくは直すという作業が、それぞれ違うと云うことになると、段取りという思考が極めて作業能率とか製品の出来映えにすら関係して来るだろう。

 ここで、出来映えはじっくり時間を掛けた方が良くなるだろうという異論も持つ方もいると思うので、若干触れたい。芸術作品とかなら別だが、およそ世の製造とか修理、サービスなどの業務においては、ある程度の余裕を持った時間を要することはあるが、時間を掛ければ出来映えが良くなるかと云えば、決してその様なことはない。製造や修理業で、段取りが悪く、都度工具を取りにとか、不適当な工具でやって上手く行かないから他の工具に変えるとか、あげくは付け間違えてやり直すなんてことになると、とたんに作業効率は悪化してくる。このことは、納期を遅らせることになるのは当然だが、そもそもその商品なりサービスには値付けの調整代があったにせよ、採算が取れない事業としての成立が困難となることになる。しかも、失敗したりしてやり直した作業から生み出される商品やサービスには、商品の出来映えにも素人目には判らなくても欠点が見えてしまう場合もあるし、サービスの買い手には、こんなに手際が悪くてという不満を与えるだろう。

 何故こんな話しを話題として取り上げたのかだが、ある長年板金業を見てきた方と話しをしていて、聞く内容から改めて意識すべき内容として記すのだが、こんなことはある意味経営者にとっては知っていて当然のことだし意識はしていると思う。

 つまり具体的には、工場経営者としては、なるべく採算が合う様に見積もしくは請求書を作るのだが、それにも一定の限界はあるという前提が必然としてある。これに対し、作業を担当する者が、段取りという思考をまったく持たぬとしたなら、そういう工場はたちまち経営継続が困難となる。そこで、経営者とか工場のリーダーたる者は、そういう新人もしくは若手作業者には、段取りを考えろと教育する訳なのだろうが・・・。

 ところが、その新人もしくは若手作業者は、「ハイ考えます」とは返事をするものの、昼休みとか中休みに何をしているかといえば、スマホでゲームをしている姿があるなんて場合が垣間見えるのではないだろうか。

 ここで、今回話しを聞いた話しだが、ある板金工場で、朝の始業時間から10分ないし15分とか、中休みで同じく、昼休みの終盤に同じく、午後の中休みに同じくと、各自に頭の中でここから進める作業をイメージさせ、今日の終業時間までになされるべき姿を目標として持つ思考を自ら持たせる様にしているという。

 一見、このこれからやるべき作業をイメージするなんてムダとも思えるかもしれないが、これがまず段取りの内に入る内容であり、全体の流れを淀みなく効率的に進める極めて大きな要素になると思える。それと、今日の作業の終業時の姿をイメージさせることも、作業の能率を高め、目標意識を持たせるためにも極めて大事なことになると思える。

 私は過去に総計では万単位にもなろうかという修理板金工場を探訪して来たが、こういう段取りの良い作業者とそうでない作業者という者をある一瞬であるが垣間見て来たと回想する。中には、その工場の経営者から、舌打ちする様に、フレーム修正機にセットされた損傷車が、「俺は3日で降りると見ていたんだが」という言葉を聞く。つまりその損傷車は既に6日経るが未だ降りる状態ではないことを、本音の言葉として聞いて来たものだ。

 確かに、大損傷車などでは、経験不足とか新しい初めて行う構造車などで、苦戦する場合も往々にしてあるだろう。しかし、その経営者は嘆く言葉は、こういうことが度々繰り替えされているからこそであろうと確信するのだ。

 板金業と仕事はまったく異なるサービス業としての損保調査員(アジャスター)の業務も同じところがある。段取りという呼び方が適切ではないかもしれないが、これから進めるべき業務の先を見通した思考ができない、行き当たりばったりの者が後輩がいると、たちまち種々の弊害が出て来る。それは、手持ち案件が膨らみ、後追いの仕事が増え、問い合わせ、督促、クレームとますますその担当者を苦しめることになる。

 この損害調査員の仕事は、自動車修理板金業と違い、相手が人であり、不確定要素が大きいと云うこともあるが、先を見る能力と共に、相手の言葉を良く聞き真意を掴む能力が欠かせないと思う。ただし、私が調査員だった時代は、単なる車両の修理費協定のみならず、対物示談から、修理したくない車両事案としての修理費協定とか、モラルリスク(保険詐取疑義)事案とか様々あって、それを嬉々として楽しみつつつ案件に関わって来たのだが、昨今は車両協定とか、立会しない前提での画像査定という業務に付く、ある意味では単能職化している現状を知る時、私には苦痛の世界だと思えてしまう。

 また、昨今聞こえて来る話しで、女性担当者が事故の示談のみならず、修理工場との示談協定にまで活躍しているのは時代の流れを感じるところだが、その女性担当者と調査員が端的に云えば仲が悪いもしくは連携不足ということが垣間見える場合がある。そして、女性担当者から見て、アジャスターって、何を聞いても教えてくれないし何なのよという思いまで聞くことがある。私の現業時代では、弱小損保であったこともあるかも知れぬが、大手損保の女性と過失割合の打ち合わせを重ねることはあったが、自社の女性は未だ示談は行っていなかった。それでも、最初の契約者もしくは事故相手との電話のやりとりで、窮地に追い詰められている様子が、私は席にいれば見通せた。そういう場合、その女性が電話を切ると、即座に声を掛け、どうしたの?と声を掛けたものだ。その聞く内容によっては、即座に電話を掛け直し、相手の云い分を聞き、それでは今から伺いましょうと行動を起こしていたものだ。そういう中から知る、女性担当者と調査員とは、およそ先に記したアジャスターって何なのなどと云う気持ちはいささかも生じさせることはなかったと思っている。


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