【書評】私は負けない(内部通報でしか現在の企業や組織の闇は現れることは少ない)
この本は、2009年に生じた俗に云われる郵便不正事件に関わり、大阪地検特捜部が事件の背後に当時厚労省担当課長であった村木厚子さんがいたとする拡大解釈ストーリーのまま突っ走り、特捜部は村木さんを160日余勾留して捜査を行い起訴したが、村木さんに直接の事件関与はなかったとして無罪が確定した事件だ。
この郵便不正事件とは、「凛(りん)の会」という団体が、郵便法で障害者などを対象にした郵送物が特別安価に送付できる特典を利用して、複数一般企業のダイレクトメールなどで、巨額の差益を生み出す郵便法違反として捜査されていた事件で、同会に対し厚生省係長が独断で障害者認可を与えていたものだった。ところが、大阪地検では同係長の上司にして当時課長であった村木さんがことの本星たる組織絡みとの見込みで、同係長にムリヤリ村木さんが絡んでいるとの供述調書を作り上げ、村木さんの逮捕にまで事件は発展したのだった。ただし、村木さんは係長の直接上司としての監督責任はあり、本事件後、その件では「けん責」を受けている。
改めてこの事件の流れを知り思うところだが、検察なり捜査期間が、あくまで事件の可能性として、当該係長だけの問題でなく、その監督権限ある上司の関与を疑うところまでは理解できるところだ。ただし、この疑いのストーリーはあくまで仮説であって、実際事件は係長の単独犯行だったのだが、何が何でも上司の関与を係長に認めさせる調書を作り上げ、その上で村木さんを長期勾留して責め上げると云う何時もの検察ストーリーなのだ。
なぜ、こうした様に検察は事件を広範な組織ぐるみの事件にしたがるかと考えた時、なるべく大事件を解決して検察の力を誇示したいというものが背景にあるのではなかろうか。それが、自らおよび検察組織の誇示というべき性格が根底にある様に思える。
訴訟が始まり、まず「凛の会」会長の証人尋問で、検察調書との食い違いが生じ、続いて係長の証人尋問でも検察調書との食い違いが明らかになる。つづいて、厚労省・障害者部長の証人尋問があり、同部長は「本件は検察の壮大な虚構と証言」を行う。さらに続いて取り調べ検事の尋問が始まるが、全員が取り調べメモを破棄していると証言する。これら後、改めて本事件の証拠整理が行われ、供述調書43通の内34通が不採用となる。そして、この訴訟は、無罪結審となる。
この後がこの事件の検察の威信を大きく崩す事件に発展する。係長の作成した障害者認可を保存したFDの最終更新日付が、係長の供述ではなくて検察供述に合う様に変更されていることが判ったという。係長の弁護士は、このことは検察が証拠を改竄したと疑念を持つが、それを主張しなくとも村木さんの無罪は間違いと想定できたし、それを裁判所に主張してところで認めまいと迷う。
ところが程なく朝日新聞記者から、検察内で証拠のFDの日付を改竄したというウワサが流れているという情報を聞き、FDの証拠鑑定を依頼することになる。
そして、村木さんの無罪判決が出て程なく、朝日新聞のスクープで証拠のFDが検察で改竄されていたという報道がなされる。その後間もなく、検察の前田恒彦検事が証拠改竄で検察内で逮捕されるに至るのだ。そして、さらに前田の上司になる特捜部長大坪弘道と佐賀元明の2名が犯人隠避罪で逮捕されるに至るのだ。この3名は起訴され、懲戒免職となった。判決は前田は実刑収監、大坪と佐賀は執行猶予となった。
ここで判ることは、検事の中にこのFD改竄を新聞社にリークした何者かがいることは確かだろう。ただし、そのリークは既に村木さんは無罪となっているし、検察の正義だったのか、仲間内のライバル蹴落としだったのか深層は藪の中だ。
何れにせよ、こういう内部通報でしか現在の企業や組織の闇は現れることは少ない。それは大方において、世の正義と云うより、自己の利益とか迫害を回避する目的としたもので、万民の正義を根底に置いたものではない。
世の多くの企業は内部通報システムを設置はしているが、こと企業の存続だとか利益に関わることになると、何時の間にやら通報者を企業が知るところとなり、企業のその通報者の排除活動が始まるのだ。
この大阪地検の証拠改竄事件だが、前代未聞の事件と思っている方も多いかもしれないが、自白調書の強制的署名捺印など恒常的に繰り返しているが、結局のところこの自白調書も証拠物の一つだ。そもそも、3名だけが処分されたが、果たしてこの3名だけの責任で収まる話しだったのだろうか。
この事件は、おごりきった検察が間抜けだったということもあろうが、珍しく裁判官がまともだったことと、あのゴーン事件で評判を落としたが、無罪請負人との評価を上げていた弘中惇一郎氏という弁護士の影響度が大きかった様に解釈できる。しかし、多くの刑事事件で、こういう有名弁護士を雇える被疑者は少なく、国選弁護人に頼らざるを得ない。
最後に結論として、三権分立だとか云っても、検察も裁判官も官僚の一部だ。特に時の政権は、官僚の最上位指揮官だから、それに牙剝くことはある意味クーデターとなる。この官僚や政府の暴走を止めるには、如何に国家がデモクラシーを高められるか政治家の質を上げていけるかだろう。政治家と国民の質は、ある意味相関していると思われるので、国民の質、これは政治への関心と云って良いと思うが、これが欠けているのが現状ではなかろうか。
この本は、2009年に生じた俗に云われる郵便不正事件に関わり、大阪地検特捜部が事件の背後に当時厚労省担当課長であった村木厚子さんがいたとする拡大解釈ストーリーのまま突っ走り、特捜部は村木さんを160日余勾留して捜査を行い起訴したが、村木さんに直接の事件関与はなかったとして無罪が確定した事件だ。
この郵便不正事件とは、「凛(りん)の会」という団体が、郵便法で障害者などを対象にした郵送物が特別安価に送付できる特典を利用して、複数一般企業のダイレクトメールなどで、巨額の差益を生み出す郵便法違反として捜査されていた事件で、同会に対し厚生省係長が独断で障害者認可を与えていたものだった。ところが、大阪地検では同係長の上司にして当時課長であった村木さんがことの本星たる組織絡みとの見込みで、同係長にムリヤリ村木さんが絡んでいるとの供述調書を作り上げ、村木さんの逮捕にまで事件は発展したのだった。ただし、村木さんは係長の直接上司としての監督責任はあり、本事件後、その件では「けん責」を受けている。
改めてこの事件の流れを知り思うところだが、検察なり捜査期間が、あくまで事件の可能性として、当該係長だけの問題でなく、その監督権限ある上司の関与を疑うところまでは理解できるところだ。ただし、この疑いのストーリーはあくまで仮説であって、実際事件は係長の単独犯行だったのだが、何が何でも上司の関与を係長に認めさせる調書を作り上げ、その上で村木さんを長期勾留して責め上げると云う何時もの検察ストーリーなのだ。
なぜ、こうした様に検察は事件を広範な組織ぐるみの事件にしたがるかと考えた時、なるべく大事件を解決して検察の力を誇示したいというものが背景にあるのではなかろうか。それが、自らおよび検察組織の誇示というべき性格が根底にある様に思える。
訴訟が始まり、まず「凛の会」会長の証人尋問で、検察調書との食い違いが生じ、続いて係長の証人尋問でも検察調書との食い違いが明らかになる。つづいて、厚労省・障害者部長の証人尋問があり、同部長は「本件は検察の壮大な虚構と証言」を行う。さらに続いて取り調べ検事の尋問が始まるが、全員が取り調べメモを破棄していると証言する。これら後、改めて本事件の証拠整理が行われ、供述調書43通の内34通が不採用となる。そして、この訴訟は、無罪結審となる。
この後がこの事件の検察の威信を大きく崩す事件に発展する。係長の作成した障害者認可を保存したFDの最終更新日付が、係長の供述ではなくて検察供述に合う様に変更されていることが判ったという。係長の弁護士は、このことは検察が証拠を改竄したと疑念を持つが、それを主張しなくとも村木さんの無罪は間違いと想定できたし、それを裁判所に主張してところで認めまいと迷う。
ところが程なく朝日新聞記者から、検察内で証拠のFDの日付を改竄したというウワサが流れているという情報を聞き、FDの証拠鑑定を依頼することになる。
そして、村木さんの無罪判決が出て程なく、朝日新聞のスクープで証拠のFDが検察で改竄されていたという報道がなされる。その後間もなく、検察の前田恒彦検事が証拠改竄で検察内で逮捕されるに至るのだ。そして、さらに前田の上司になる特捜部長大坪弘道と佐賀元明の2名が犯人隠避罪で逮捕されるに至るのだ。この3名は起訴され、懲戒免職となった。判決は前田は実刑収監、大坪と佐賀は執行猶予となった。
ここで判ることは、検事の中にこのFD改竄を新聞社にリークした何者かがいることは確かだろう。ただし、そのリークは既に村木さんは無罪となっているし、検察の正義だったのか、仲間内のライバル蹴落としだったのか深層は藪の中だ。
何れにせよ、こういう内部通報でしか現在の企業や組織の闇は現れることは少ない。それは大方において、世の正義と云うより、自己の利益とか迫害を回避する目的としたもので、万民の正義を根底に置いたものではない。
世の多くの企業は内部通報システムを設置はしているが、こと企業の存続だとか利益に関わることになると、何時の間にやら通報者を企業が知るところとなり、企業のその通報者の排除活動が始まるのだ。
この大阪地検の証拠改竄事件だが、前代未聞の事件と思っている方も多いかもしれないが、自白調書の強制的署名捺印など恒常的に繰り返しているが、結局のところこの自白調書も証拠物の一つだ。そもそも、3名だけが処分されたが、果たしてこの3名だけの責任で収まる話しだったのだろうか。
この事件は、おごりきった検察が間抜けだったということもあろうが、珍しく裁判官がまともだったことと、あのゴーン事件で評判を落としたが、無罪請負人との評価を上げていた弘中惇一郎氏という弁護士の影響度が大きかった様に解釈できる。しかし、多くの刑事事件で、こういう有名弁護士を雇える被疑者は少なく、国選弁護人に頼らざるを得ない。
最後に結論として、三権分立だとか云っても、検察も裁判官も官僚の一部だ。特に時の政権は、官僚の最上位指揮官だから、それに牙剝くことはある意味クーデターとなる。この官僚や政府の暴走を止めるには、如何に国家がデモクラシーを高められるか政治家の質を上げていけるかだろう。政治家と国民の質は、ある意味相関していると思われるので、国民の質、これは政治への関心と云って良いと思うが、これが欠けているのが現状ではなかろうか。