私の思いと技術的覚え書き

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田原坂の美少年像

2010-06-17 | コラム
 写真は、何年か前に訪ねた田原坂(たばるざか:熊本市植木町)の美少年像です。事情を知らない方には、何故に、ここに美少年なのかと、時代劇風に云えば「はて、面妖な」(ふしぎだな)と云うことにでもなろうかと思います。私は小説「跳ぶが如く」などで、この辺りの事情をある程度は知っていましたから、「なるほどね」程度の思いを持って見たのですが。

 さて、田原坂は明治維新後に生じた最大の反乱である西南戦争(西南の役)における最大の激戦地です。ここで、政府軍(官軍)と薩摩軍が雌雄を決したのですが、先の美少年像は薩摩軍に属するものです。この美少年を現代風に言い換えたとすれば、ジャニーズ風男子とでもなるのでしょうか。そして、当時の薩摩に美少年讃歌とでも云うべきものがあったのでしょうか。

 明治維新以前の徳川幕藩体制の中、最大にして最強の雄藩と云われたのが薩摩国(現在の鹿児島県)です。そして、幕末から維新に掛け、長州(現在の山口県)と共に、幕府崩壊に大きな力を発揮したことはつとに有名なことです。薩摩国は強大な武装集団というだけでなく、対防諜の視点からも優れた能力を保持していた様です。当時の幕府も江戸から遙かに離れた雄藩である薩摩国のことを、常々薄気味悪く感じていたはずです。これは、時代劇に出て来る公儀隠密(今で云えば警視庁公安部とでもなりましょうか)の派遣を促すのですが、薩摩国は決してこれらの進入を許さず、ことごとく返り討ちにしてしまったと云います。

 それでは、最大にして最強で鉄壁の連携と組織力を誇ったという薩摩国ですが、その根源は如何なるものであったのでしょうか。それは、同国人が薩摩隼人と尊ぶ呼び名がありますが、これは直接的な意味は薩摩に住む人々ですが、勇猛果敢な体育会系気質を持つ集団もしくは個人のことを指す言葉です。そして、強固な上位下達と連帯感、つまりチームワークが薩摩国を強大な雄藩とさせるベースとなっていたことは間違いないことです。さらに、美少年讃歌に表される男同士の関係が、触媒的な作用としても働き、それが鉄の結束力を生んだと記す論者も多い様です。

 最後に、明治維新最大の功労者でありて、維新達成後程なくして下野し、その後の西南の役では一転して逆賊となってしまった英雄が西郷隆盛です。この方ですが、維新以前に心中事件を起こしているのですが、その相手というのが女でなく男なのです。この2人にどの様な関係があったのかどうか真偽は判りません。しかし、心中相手である月照という僧侶は亡くなってしまいますが、日頃からアドバイスを与えるなど西郷にとって強い心の支えとなっていたことは確かな人物の様です。



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