このところ潜水艦を題材にしたDVDを、立て続けに3本見ました。潜水艦というものには乗ったことはありませんが、その戦闘を通じた艦内の人間の生き様というべきものに、どうにも魅力が感じられます。それは、潜行中の潜水艦は、密閉されソナーを通じてしか外の様子も判らず、一歩間違えれば浮上もままならないという宿命を持ちつつ、艦内乗員が運命共同体のグループとして活動せざるを得ないという環境が、その様な人間ドラマとして魅力を生むのだとも感じられます。
さて、レッドオクトーバーを追え(The Hunt For RED OCTOBER:トム・クランシー原作)を見ました。もっとも私の胸を打ったシーンは、潜水艦内の戦闘の様子ではありませんでした。主人公のライアン(CIAアナリスト)に大統領の国家安全保障補佐官ペルト(政治家)が発した言葉にです。ペルトはライアンに前置きの言葉として云います。「私は政治家だ、だから嘘をつき人を騙し汚い手を使う。だが、同時に色々な可能性を考える。」と。この様な開き直った率直な前置きとしての発言があるからこそ、それに続く本論への真剣さが、相手であるライアンにも、そして見ている観客にも伝わるのだと感じました。
しかし、私が現実で触れあう社内等の上層部に、その様な開き直った率直な発言を行う様な方はまずおられません。前置きとして上辺だけ丁寧な口調で飾り立て、本論として過酷とも云える要求を突きつける者が多すぎると感じられます。
社会は確かに矛盾に満ち溢れています。世にあるすべてのことを、正義や論理を持っての解決はできません。これは宿命的な問題でしょう。しかし、そんな矛盾を含めた現実を率直に認め、そして本論に入るという人物が真の大物だと思うのですが・・・。最近は特に、この様な大物に出会う機会が少なくなりました。極めて残念無念なことだと感じざるを得ません。
※潜水艦のことは、その他色々感じることがありますので、またの機会にも記してみたいと思います。