過日、松下電器産業(株)が、本年10月1日付けで社名をパナソニック(株)に社名変更することを発表しました。パナソニック(Panasonic)のブランド名は、かねてから同社の先進商品を中心に呼称されてきました。一方、同社の白物家電系を中心に、ナショナル(National)の呼称がブランド名として採用されてきました。この社名変更を期に、既存のナショナルブランドもすべてパナソニックブランドに変更するとのことです。私見ですが、ナショナルブランドも家電製品として一定の価値があったと感じますし、ちょっと残念に思います。創業者の「松下幸之助」氏が聞いたら、悲しむのでは等と想像もしてしまいます。
関連するブランド名の廃止で思い出されるのはダットサン(Datsun)のことです。日産のかつてのクルマで使用されていたブランド名です。その発祥は日産発祥の会社である「快進社」でのクルマである「脱兎号」を始祖とするとのことです。その後「快進社」は高名な「鮎川義介」氏が経営に乗り出し「ダットサン」のブランドが生まれたのです。私が自動車修理の現場にいた頃(1977-1984)もダットサンのブランドは健在で、ダットラ(ダットサントラック)等は、トヨタのハイラックス等を寄せ付けない市場評価を受けていました。また、米国でのダットサンブランドは有名で、かの初代フェアレディZ(S30型)は、ダットサン240Z(後に260Z→280Z)として爆発的な販売量を誇ったのでした。そして、既に米国でスポーツカーブランドを確立していたポルシェを一定駆逐するまでに至ったと伝えられています。その立役者となった方が「片山豊」氏なのです。片山氏は米国日産の社長として、フェアレディZの開発を本社に促し、その販売実績を通じて大成功を収めたのです。片山氏は今でも米国のZファンからミスターKと呼ばれ親しまれているそうです。また日本人として数少ない米国自動車殿堂入りもされています。
ところで、ダットサンを廃止した張本人は元日産自動車社長の「石原俊」(たかし)氏です。野心的、積極的な海外進出政策を進め、北米の他、英国への進出やスペインへの資本参加、VWとの提携等々です。そして一定の価値を生み出していたダットサンブランドを廃止し、ニッサンブランドへの統一を強行しました。これら海外進出や業務提携、そしてダットサンブランドの切り捨て等、ことごとくすべて失敗だったと現在では評価されています。日産の業績が低下しつつ、最終的にルノーに吸収されるに至った張本人はこの経営者だと感じます。こんな人物でも、後年は勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章の勲章を受けているのですから、そもそも勲章の価値とはなんぞやと思わずにはいられません。
追記
初代ファアレディZ(S30型)と同時期に生産されていたクルマに、トヨタ2000GT(MF10型)があります。この両車を見比べてみますと、クルマとしての諸性能(走る、曲がる、止まる)のすべてにおいて、そしてその価格の安価さにおいて、ファアレディZの方が明らかに優れていたことは間違いないことと思います。例えば、エンジンはZ432はスカイラインGTR同様の専用4バルブDOHCエンジン、方や2000GTはヘッドだけを載せ替えた2バルブのDOHCエンジンです。そして、幾らトヨタ2000GTに手を入れたところで、根本的にあの様な剛性の低いシャシ構造では、Zの様なサファリラリーの活躍は得られなかったと思います。価格はZ432が160万円に対し、2000GTは270万円程度であったと思います。今、旧車市場では2000GTの方が圧倒的に高い評価を得ている訳ですが、それは販売台数の少なさがなせることなのです。