yuyuの日々

yuyuの日々の出来事です

花よりボールのやんちゃくん

2017-03-11 09:50:55 | 警察犬サム君
レンガの壁と山椒の木のトゲに守られ
あの水仙は無事に花が咲きました。。。



いつもサム君が寝転がっているところ
見れば…白い

ボール
ではなく!

小さな白い
花ニラです

カワイイのにタフなんですね!
毎日のようにゴロゴロされているのに
隙を見つけて花を咲かせました


ただ…この近くの水仙は
かわいそうに

ふんだでしょ~!

なんて事を言ったってサム君は花よりボール!!
気分よく庭を駆け回り
ゴ~ロゴロ、そしてボールハミハミが幸せです


今日も
花を見ている私の背後で楽しんでいます。。。

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曇り空の土曜日です

2017-03-11 09:30:00 | 今日の空
現在 AM9:00少し過ぎ、少し日が射してきましたが
早朝~7:00くらいのときは暗い空でした。。。



それでももう早朝、春の内ですから
あまり寒く感じませんでした

庭の桜です

枝の蕾が付いているところは分かりますが
まだ尖っていて膨らんで感じられません
開花を予想してみましょうか~!

そうですね~ここは日当たりが良いですし
この桜の咲くのは早めの〝3月21日〟

どう?

サム:どうでしょうねぇ

咲くのが楽しみになってきました♪


こっちは咲きました


あの守りを固めた水仙です。。。
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ベネチア男の野望・その7

2017-03-11 05:18:42 | 美術館・絵画
レダと白鳥の最後になります。
どうも、ベネチア絵画を理解するためには、現代の常識を取り払わないといけないようです。
想像力で、ベネチアにワープいたしましょう!

「横たわる裸婦像」は、ティツィアーノさんが描けば、こんな感じです。

この絵のバランスも微妙なさじ加減です。
基本的に美人画です。
しかしいくら綺麗に描いても、裸である以上、下品な絵とされてしまいます。
裸を見る行為は、猥褻であり、罪となります。
それは、そうでしょう。
字が読めない・言葉が通じない民族に対しても、「宗教画」という道具で信仰を伝えていたキリスト教に対して、ある意味でその道具をスポイルしてしまうからです。

そこで、ビーナスの誕生では、神話を前面に押し出しました。
ティツィアーノさんは、もはや神話ではない美人画にビーナスの要素を、極々取り入れています。
その時代の許容される最先端が、この絵だと思います。
ティツィアーノさんがうまいのは、絵の半分を美人画としていることです。
この絵の左側だけをみると、フローラが裸になったものです。
この範囲内に、ぎりぎり下半身まで見えます。
「美人画の裸婦像」って、最も求められる題材でありながら、罰をくらうことになってしまうでしょう。
なにしろ異端とみなされたら、どんなことになるのか・・・。

サテュロスとニンフは、作者不明で工房の作となっています。
これって変ですよね。
もしかすると、ここまでやってしまった作者は、次の作品で一線を越えてしまってしまい罪を問われて名前を出せなくなったのでは?
・・・と訝ってしまいます。
それくらいサテュロスとニンフは、ギリギリのぎりぎりだったと思います。
この絵が許されても、さらに一歩進めてしまったら・・・?
と想像すると、是非観たかったですね、その絵を。

で、ティツィアーノさんとしては、この絵の右側を非現実としました。
謎かけのアイテムを描写することで、裸の女を煙に巻いています。
このようなことができるから、出世したのだと思います。

と言うことで、レダと白鳥になります。

この状態で、これ以上裸に手を加えることはムリでしょう。
だから、裸自体は卑猥とならないギリギリで描写しました。
陰部に、ほとんど透明な布らしきものをまとわりつかせているのが免罪符となります。
これに陰毛を描いてしまったら、それは極刑が待っているのでしょう。

宗教的には、イタリアよりも厳格なスペインをみてみましょう。
このような絵は、世の中がひっくり返るくらいのインパクトがあったらしいです。
なにしろ、現実の女性の裸体を描いてしまったのだから。

たった陰毛が描かれただけで。

ヤコポさんのレダ、これらの寸止めの描写のバランスに惚れ惚れします。
ヤコポさんは、美人画でありながら下半身を露出させてしまった業績を成し遂げたこととして(当時は)評価されているはずです。
レダは、スパルタの王妃なので、ベッドでも(ほとんど冠に見える)ティアラを装着しています。

この裸と冠のギャップは、今思う以上にインパクト(絶対に手の届かない女性を裸にしてしまったという)があったように思います。

で、最後にまとめます。
籠の中の鳥ですが。

解説書によると、鳥はレダの恋敵の具現化だそうです。
しかし、私は別の考えです。
この籠の中の鳥は、ヤコポ自身を描いたものだと考えています。
窮屈な籠の中は、自身の立場を表しています。
この作品では描かれていないけど、この絵の片隅には猫がいて、籠の中の鳥を狙っているそうです。
それは、自分の身の危険を表現しているのではないでしょうかね。

yuyuさん、今日も座布団下さいね!








コメント (1)
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