yuyuの日々

yuyuの日々の出来事です

サム君 河原にGO~!

2017-03-12 15:29:13 | 警察犬サム君
歩いていると近くでウグイスの声を聞きました!
今年初です♪~春を感じますね。。。

元気いっぱいのサム君は大きな土手も何のその
ここを駆け下りました

元気です!

大好きな河原に来られたということもあるのかな
トットコとよく歩きます


気分良さそう


サム君の元気な姿にyoyoさんもうれしそう♪



サム:久しぶりの河原ですよ…

止めないでくださいね!


あら~まだ水は冷たいでしょうに!

どんどん

入っていってしまいました!

どうするのかなと見ていると



サム:遊びましょうよ!

誘います~!


「サ~ムダメだよ、タオル持ってきてないしなぁ」

サム:ダメ?

「ダメ」


サム:ではまた暖かくなったら遊びましょう!

しかしです
川の水に浸かったサム君は洗われることになりました!
「サム~おいで~」

ヒン…


「そっちじゃないぞ」

そとに出ようとしてる~サム君!
呼ばれているのに
あえて無視?

サム:だってボク~!

片足だけの
いつもの抵抗むなしく

しぶしぶと…
シャンプーされたサム君です

今日はいろいろあったね♪。。。
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すごいぞサム君!4年ぶり

2017-03-12 10:09:43 | 警察犬サム君
4年ぶりに車の後部座席に飛び乗れました!。。。

お出掛けなのでうれしくて
ちょっと耳がたれてます…


実は、4年前に病気が発覚
お腹の中に大きな嚢腫ができ
呼吸が困難なくらいで、もしかしたらもう…
そんな心配をしていたのです



ここに飛び乗れるくらいに回復したなんて!

良かったよ~!サム君


今、車の中でこんな顔して
ヒンヒンいっています


お出掛けのムードに興奮ぎみの様子です
サム君の元気は私たちもすごくうれしいです♪♪♪。。。


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ベネチア男の野望・その8

2017-03-12 05:55:42 | 美術館・絵画

マグダラのマリアです。


この絵は、ものすごく難解でした。
何回みても、難解です。
何故なら、もう解説書がベタ褒めしているからです。
「挑発的で官能的な聖女」であるとか、「傑出した美しさ」の如くで解説書を埋め尽くしています。
しかし私としては、全くそのような感動は生まれません。
本当に、解説者が感動したならば、この絵画の構成要素によってそれを説明すべきです。
結論から言って、この解説者は、単なる受け売りを並べただけの文章を作成したのだと感じています。
私も、分野は異なりますが文字を書く仕事で生きていますので、三流の解説書には辟易します。

たった一つの真実は、単なる受け売りを並べただけの解説書ができるほど、この絵が素晴らしいということです。
では、何が素晴らしかった(過去形)について考えてみることにしました。

この時代の女性像には、3種類があります。
まず、1)マリア像またはその延長にある女性像です。
その対極的に存在するのが、2)美人画およびエロ画像(他の表現をするならば官能的な女性像)です。
そして、3)依頼者による肖像画です。
このマグダラのマリアは、分類としては美人画に含まれるので、マリア像と肖像画と対比させて考えてみることにしました。

まずマリア像です。

これは癒し系ですね。
この絵は、家中のどの部屋に飾っても存在する価値のある絵となります。

あ!マリア像とその類似画像の見分け方ですが、簡単です。
伏し目がちな女性像は、すべてここに分類されます。
まあ、こんな感じです。


しかし、これらの女性は実在しません。
したがって、マリア像にはベネチア男の願望が隠されているはずです。


結論から申し上げて、ベネチア男は癒し系の女性に渇望していました。
つまり処女性です。
これは、田園の奏楽でちゃんと表現されています。

右側3人の女性は、全員伏し目がちです。
これはマリア像に分類されます。
しかし、左の二人は違います。
作者は、これを「はしたない女性」つまり男に気軽に声をかける女性として区別して描いています。
これが女性の当時の認識であると考えると、マグダラのマリアのヒントと成りえます。

次に、肖像画を観てみましょう。


肖像画と美人画の区別は、簡単です。
胸を隠しているのが肖像画で、胸を意識させているのが美人画です。
肖像画は、必ず胸元をキッチリと閉じて描いています。
逆に言うと、美人画のエロスとは、胸がはだけるイメージがどれだけ上手く描かれているのか勝負となるはずです。
と考えて、フローラを観ると合点がいくはずです。


フローラを解説者が語ると、100%ベタ褒めします。
しかし、本当の価値は、現代の感性を捨てないと見えてきません。
脳裏をよぎる様々なエロ画像が消去されて、初めてフローラに手を合わせたくなるベネチア男の気持ちと同化できるようになります。
それが、マグダラのマリアの第二のヒントです。

さらに肖像画と美人画(ではないが)に属する絵の微妙な区別をご覧ください。


この絵は、二人の女性の襟元を加筆しました。
最初に描かれたものに、購入者が注文を付けて、エロっぽく(別の表現をすると官能的に)させたのだと思います。
で、おとこの首をもらって、この勝ち誇った感じの表情をご覧ください。

え!私のことですか?


まあ、そ、そっそうかもね・・・。
と・・・、男は萎えてしまします。
男を喰う女。


キツイ顔だよ〜。

おとこの首を切り取って満足げな女。
これがマグダラのマリアの第三のヒントです。

よくよく見れば、この時代の女の顔は、キツイ。


つまり、キツイ女性の現実から、理想の女性像であるマリアを渇望したベネチア男の気持ちを理解することで、初めてマグダラのマリアを理解することができるのだという結論に達しました。
マグダラのマリアには、必ずドクロが登場します。



このドクロは、女の高慢さ・身勝手さ・我儘さ・理論での説得を嘲笑する様・目先しか見えない愚かさ・などなどなどを凝集した象徴です。


その女が、過去を後悔して泣いている。


もう! ベネチア男は身震いしちゃいます。


どうしよう!
だんだんdeepになってきちゃいました。


となりで、デザイン画を作成しているyuyuさん!
そろそろ朝ごはんにしましょうよ。
今日は、新鮮な野菜をゲットだね〜。



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