村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

相馬野馬追いの歴史

2013年07月25日 18時41分20秒 | 南相馬の話題

いよいよ「相馬野馬追い祭」が明後日に近づいたので、その歴史に触れてみようと思う。

一千有余年の歴史を経て、今なおいきづく伝統の祭り

血湧き、肉躍る戦国争乱のドラマ「相馬野馬追い」

甲冑に身をかためた五百余騎の騎馬武者が、腰に太刀、背に旗差物を付けて野原を疾走する、

力強く勇壮な戦国絵巻。

相馬野馬追は、今から千年以上もの昔、相馬氏の先祖平将門が937年に、

下総国小金ヶ原(千葉県流山付近)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことに

はじまったと伝えられています。

そして、捕らえた馬を神馬として、武神である妙見に奉納したのです。

その後、相馬重胤が奥州行方郡(現・南相馬市)に移ってからも、

代々の藩主がこの行事を伝承。

戦国時代には伊達藩にそなえるだめの武備として、

また神馬奉納の神事として、

怠ることなく野馬追が行われてきました。

幾多の変遷を経て、現在は国の重要無形文化財となっています。

旧藩領あげての最大の祭典として、

今も熱気あふれる行事がくりひろげられています。

(相馬野馬追ガイドブックより)

妙見信仰をかたくなに守り続けてきた奥州相馬氏

相馬三妙見

妙見とは、仏教でいう妙見菩薩のことであり、北極星・家紋「九曜」も、これに由来すると伝えられています。

奥州相馬氏の先祖・平将門が下総国に妙見宮を創建したことに由来し、

相馬氏は初代・師常公の時代から妙見信仰を守り続けてきました。

下総国から陸奥国に移り、初めての地であった太田、続く小高城、そして中村城へと居を代えた時に、

それぞれの城内に妙見宮をお祀りしています。

それが今に至る、太田神社、小高神社、中村神社であり、

「相馬三妙見」と呼ばれ、現在も地域の人々の信仰を集めています。

明後日の27日はそれぞれの神社から「雲雀ヶ原」目指して騎馬武者達が出陣します。

雲雀ヶ原もきれいに整備され相馬野馬追祭を待つばかりとなっています。

今年の騎馬武者は震災前の500騎を超える出場は見込めなかったが、429騎が出場する。

例年だと酷暑ともいえる暑い中での熱い祭りだが、この雲雀ヶ原で今年はどういうドラマが待っているか?

いよいよ篤い、暑い、熱い夏が南相馬にやってきます。