今日であの日から2年8ヶ月
南相馬市では今後原発事故が発生した場合を想定し、市民を宮城県、山形県、新潟県の3県に避難させるよう原子力災害対策の案を考えたようだ。
東日本大震災後に発生した原発事故により市民は避難を余儀なくされたが、
交通網が寸断されたり避難先の見当がつかずに多くの市民が混乱してしまった。
もう避難はごめんだ!!と思うが、
事故が起こった福島第一原子力発電所はまだ事故を完全に収束させる溶融した燃料を取り出す検討すらできない状況にある。
これから先30年以上いつ避難を余儀なくされる事象が起きるかわからない。
まだまだそういう状況が続いているのに、国では年間の被曝線量が20mSv以下であれば健康に大きな影響なしとして住民を帰還させようとしている。
これまで年間被曝線量を1mSv以下としていたのに一気に20倍にしてしまう。
1mSvでも怖いと言って帰ってこないのに20mSvはひどすぎるような気がする。
土曜日に山形県鶴岡市に避難して永住を決意した方を訪ねてきた。
南相馬市に自宅があったが原発事故による放射線を気にしながら生活する気はないという。
旧警戒区域内に自宅があり津波で被災された方は、自宅の再建を考えている人が多い。
もう自宅のあった土地には帰らず原発からなるべく離れた土地に家を建てるそうだ。
俺の知り合いでも多くの人が南相馬から離れた相馬市や新地町に自宅を再建させている。
南相馬市へは旧警戒区域内の復旧や除染作業のために多くの作業者が入ってきている。
市内には多くの人がいるように感じるが、復旧作業者や南相馬市以外の避難者が多くなっているからだ。
市内の飲食店には繁盛しているが、ほとんどのお客さんは地元以外の人ばかりでトラブルも多く発生しているという。
そんな雰囲気が嫌で俺も飲みに行く機会が激減してしまった。
震災と原発事故から2年8ヶ月もたってしまったが、
以前の南相馬市を取り戻すとことは果たしてできるのだろうか?????
南相馬市の復興が進むと同時に以前の姿と違う方向へ向かわないことを願いたいです。