園児らの列が置きゆく七竈
10月21日。。富士山が初化粧し北海道からは降雪のニュース。当地も朝晩の温度差が10℃以上になった。それでも今日は予報どうり25℃を超え夏日になりそうな天気。家に引っ込んでいるわけにはいくまい。ナナカマドの赤がまぶしい。
菊展日迫るや灯るハウス中
10月20日。。絶好の秋日和の土曜日。老人が退いた校庭も公園もスポーツに興じる子供らで満員。散歩帰りに、菊展を来週末に控えたGゴルフ仲間の「菊づくり士」の家に寄る。今が追い込みの真っ只中の作業の一部始終の話と今頃の作業拝見した。165㎝程に延ばした茎先に赤子の拳ほどの黄色花が咲き始めて居る。10センチおきに専用の藁紐で軸棒に固定中。展示会日に最高の花をえるための、水やり、日差し、輪掛け時期などの微妙の作業話に感銘を受ける。日暮れても所定の作業が終わらなければ明りを点けてやり抜くらしい。間もなく方々で始まる菊展が一層待ちどうしくなった。
球走り雲は千切れて爽気満つ
10月19日。。秋のだらだらの雨が3日も続くと鬱を呼ぶ。今日はこれを取り戻して、飛び切りの秋空だ。グラウンドゴルフの公園のグランドコンヂーションも最高。少々の風はあったが、集まった会員のスコアーはホールインー1連発で上々。わたしもつられて、いつもなら、32ホール80点前後なのに67点に驚く始末。爽やかな昼前の一時だった。
南家より先ず声あり木犀香
10月18日。。遅く咲きだす我が家の金木犀は晴れた日の北風の吹くときに香りだつ習性があり、塀越しの声でそれを知る。やがて南風に恵まれて初めて”家の木犀”となるのである。風向きに任せやり取りする木犀の町に変身中である。
練習で終はる行事や秋の雨
10月17日。ー。秋は戸内外を問わず文化体育の催しが多い。例年10月は雨が多いが異常気象の今年は少なめな雨なのに行事当日にまさかの雨が多い。一生懸命練習したり準備したのに中止の行事をいくつか体験した。今日の午後から雨はこれとは違うが恵みの慈雨になりそうだ。一雨ごとに深まる秋である。
穭田(ひつじだ)を横目に延ばす散歩距離
10月16日。。今日も夏日。例年ならとっくに南側の廊下に移して、12頃にから咲きだすシャコバサボテンだが、夏日が続く間は引っ越しをためらっている。刈田も青茎を一斉に伸ばして秋田に薄化粧を始めている。散歩の距離もついつつい伸びがちな朝夕である。
天井に競ふ幾つや木守柿
10月15日。。秋の柿が町や村を問わず大方の家に実りの秋を告げ、お茶受けやデザートに味覚を発揮しだした。早いのは積み残された後に熟柿となって梢の頂きに身を寄せ合っている。木守柿は地位を争う勇者に見えたり、少ない余生を案じるかに見えたりもする。
釣り堀や逃げては戻る鰯雲
10月14日。。今日はF市歩け協会の例会日。しばらくの間のグルメの生活と運動不足で増えた体重を減らすべく他の用事は捨て置き参加した。コースは仙元山周辺の平地。ぶらぶらと刈田やコスモスと柿の家並みを10キロ近歩いてしまった。出発地の駅裏の下台池には朝から釣り師が多勢並んでいた。
ちょぼ口で時世をさぐる胡桃かな
10月13日。。材木商を営んでいた友人の広大な敷地には田圃や魚の養殖場はないがあまたの樹木があり菜園や花壇がある。時あたかも胡桃の落実時期だった。胡桃は栗と違って地上で大方の青皮を脱するらしい。リスは半分に割るが野ネズミは穴をあけて落実を喰うそうだ。
兄妹(あにいも)に続く金婚みむらさき
10月12日。クラス会を終えた翌日本家の菩提寺に、近づく我らの金婚の報告を兼ねて墓参をした。既に金婚式を済ませている兄と妹夫婦にブチック経営の従姉妹も参じた。馳走の思いでは、地元名物の鶏モツと蕎麦だった。妹夫婦は菓子老舗を畳んだ後は闘病と短歌づくりに励んでいた。妹の近作「何故に今日は下痢する病院の食事以外に食べないものを」。夫「免許証の更新の葉書届きたり認知症の検査も合わせするらし」1日毎の余生を神に委ねる兄弟になった。