葡萄郷に集ふ傘寿やクラス会
10月11日。。久しぶりに帰省した。1つは、旧制中学校の仲間が一斉に傘寿になったので、ブラジルからの帰省者も加えての傘寿会。2つ目は兄弟がともに金婚式と傘寿を前後して迎えるので、揃って父母の墓参方々の本家での集いの為だった。クラス会の方は既に20%強が他界し残りの大方も複数病息災。余生の峠を感じさせられた。
縁先に続く刈田や分家の子
10月10日。今頃は5時半ごろから夜明けが始まり、夕方も今迄6時だった市の帰れコールの放送が5時に繰り上がった。日増しに日照時間が短縮されている。とびとびの田んぼの稲刈りも始まり刈田の広がりが晩秋を際立たせる。稲雀や鷺などが刈り終わらぬ田んぼと刈田を往来している。食糧の自給自足は減るばかりでTPP/FTAなど世界的政策の進む中での我が国の主張見極めや主張に国民は関心を持っている。
婆は祈り児は科学する星月夜
10月9日。。今日のトップニュースは「山中教授ノーベル賞受賞」である。”iPS細胞(人口多能性幹細胞)作った為”と言う。これにより新薬開発や再生医療実現の糸口になり、これから実現するまでの長い道に向かう感謝と決意の謙虚さに感じいったものである。今日のS句会の席題は「星月夜」だった。
体育の日の晴れて人なきグラウンド
10月8日。体育の日。日光戦場ヶ原に初氷が張ったとのニュース。当地も15℃の朝方だったが日照とともに戸外にいると忽ち汗ばむ秋晴れになった。町の都合で昨日に替えた体育祭が雨で中止したのに、「体育祭の日」の今日の町のメイングラウンドは晴れ! 人気なしグラウウンドを通る老人が手にしたドングリをベンチに置き去った。
光る妻みつめる夫や男郎花
10月7日。。天気予報の絵文字は太陽になっているのに昨夜来の雨目。今日の当H地区市民体育祭は予想もしなかった中止。野原や神社に今が盛りの女郎花、少し離れてうつろな佇まいの男郎花。加齢とともに亭主共はおとなしくなる。これでいいのだ。
コスモスや若者言葉ゆれる道
10月6日。。今年の10月は晴雨定まらない日が殊更多い。老齢化や景気低下で街中の行事が多くなった近年、戸外行事日が雨になると大方が「中止」になる。例外は学校の運動会くらいのものだ。明日の地域の体育祭は晴れの予報であるが?。近頃若者たちの言葉が流行り出している。言葉使いに厳しい俳句の先生の、顰め面が浮かんでくる。これも時代の流れの1つなりや?
渡されしメモに書き足す新豆腐
9月5日。。颱風19号が北海道東沖に抜けて日本列島は久しぶりの秋晴れの様子。当地も上空隅々まで探せど雲なしだ。秋の収穫が始まり山海の恵みが味覚を楽しませるせてくれる季節になった。新豆腐もその1つである。頼まれたお使いのメモになかった一品である。
回天兵に手向ける全て曼珠沙華
10月4日。。遅れ気味だった当地の曼珠沙華が一斉に咲きだした。2年前までは個人になった回天兵で俳句とブログのT先輩とあちこちでデジカメに収め回っていた。だから今は目の前にある彼岸花はすべてTさんに捧げるものとの思いに駆られる。
寿老人護る健気さ藤袴
10月3日。。散歩コース1つに近くの別府沼公園があり、月に5.6回以上は通う。その都度途中の全久院により、ブログ用の四季の写真をあさり、合わせて近所のSさんの墓に手を合わせる。Sさんの両親が逝って11年になるが欠かしたことはない。7月からお参りの相手が一人増えた72才で急逝されたSさんの奥さんだ。このことは今もって家族は知らないが、”隣は何する人ぞ”が進む世の中、こんな付き合いもあっていいと思う。
隣国も今が盛りや秋桜
10月2日。。残暑復活とあわてた昨日だったが、今日から2.3日は25度以下になるとの予報。野菜や果物も気象変化追従に懸命だ。現役時代に派遣された隣国も今がコスモスの揺れている時期だ。産業立国に指導した時代に育ん信頼関係。”そこまでやるか?”の彼の国の国政に戸惑いは増すばかりである。