生まれたという過去と必ず死ぬという未来は明確である。
この点と点が明確なのに、これを結ぶ今現在の心がはっきりしないとはどういうわけだ。
この世界に生まれてきたからには使命がある。
使命とは、今、そうすけは一体、何に命を使っているか、ということだ。
そうすけは、さしたる人生の目的もない。なんとなく、その日その日を気分と周囲に影響されて、ふらふらしたり、右往左往したり、酒を呑んだり、博打をしたり、ちょっと考え込むと虚しくなったり、哀しくなったりしているのだ。
これでは、ダメだ!と否定するなら、今日一日を何に、この命を燃やしたか?!
そうすけには人生をイエスと応える使命がある。
「いつも身体を燃焼し、いつも心に太陽を」
今という使命を燃焼させる行為が、生まれたという過去と死ぬという未来を明確にさせるのだ。