なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

夏の終わりにビートルズを...

2013年08月25日 | Music

そう言えば Paul McCartney がこの秋に11年ぶりの来日を果たすとか


1980年の Wings として来日した際、大麻所持で有罪となり国外退去になって以降、4回目の来日となる。ZUYAさんは2回目の来日時(1993年)に東京と福岡で彼のステージを観た

近年、外タレのコンサートのチケットは高騰する一方だが、今回のコンサートはその時と同クラス(S席)は16,000円だとか...恐ろしい時代だ  


さて今日はジムから帰って来るいやなや、プレイヤーに入れたのは The Beatles の 『 Past Masters Vol.2 』

パスト・マスターズ Vol.2
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EMIミュージック・ジャパン



このアルバムはオリジナル・アルバムではなくビートルズの音源のCD化の際にシングル盤・SP盤からまとめられた物だ。白いジャケットの 『 Vol.2 』 は後期の作品が集められている。


ビートルズのメンバーと言えばどうしても“3番手”に名前が挙がってしまう George Harrion 。でもビートルズが解散して最初に“単独でもやっていける!”と音楽ファンを納得させたのは他ならぬジョージでなかろうか

でもですねぇ、実際ジョージはビートルズ時代にもなかなかの傑作を残しているですよねぇ。

一般的には“While My Guitar Gentley Weeps”や“Something”辺りが最初に挙げられるが、ZUYAさんが意外に好きなのは“Old Brown Shoe”。


不思議なことにポールのベースは自身の楽曲を除くとジョンの楽曲ではなくジョージの楽曲で実に好サポートをしている。例えば上記の楽曲におけるベース・プレイは実に画期的で、“While My~”における“ダブル・ストップ”を用いたり、“Old~”におけるドライブ感溢れるベース・ライン等など。

ZUYAさんはジョージとポールのセンスがかみ合った時の曲はビートルズの魅力の一つであると考えます


ジョージがビートルズ時代に自身の楽曲がなかなか(2人の天才に)多く採用されない長年の鬱憤を晴らすかのような名盤を作り上げた。それがこれ ( ↓ )

All Things Must Pass (30th Anniversary Edt)
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Capitol




夏も終盤...ですかね...

2013年08月25日 | Movies

お久しぶりです


6日間に及ぶお盆休みが終わるとあんなに暇だった職場が一変、毎日暗くなるまで頑張っておりました。おかげでブログの更新どころかジムにも行けず...


先日ですね、初めて 『 宅配レンタルDVD 』 なるものを利用してみました。見たい映画(DVD)がありずっと探していたのですが近くのレンタル店にもなく、購入するにしてもまだ値が張るので...ふと思い立ったのが 『 Yahoo のレンタル 』


そこまでして観たかった作品は伝説のバンド、ゴールデン・カップスのドキュメンタリー映画である 『 ワン・モア・タイム 』


ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム パーフェクト・エディション [DVD]
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ポニーキャニオン




ZUYAさんが師匠に出会った10数年前からずっと言われ続けている、“音楽を語る上でカップスのステージを観たことのないお前達の世代は大きな disadvantage (ディス・アドバンテージ=不利益)だよ”と

1960年代後半。日本の芸能界にはGS(グループサウンズ)が大流行し、中にはちょっと“音楽”とは呼べないものも多々あったわけです。それでも量産型のグループの中から才能あるミュージシャンだけがその後も生き残り現在では“大御所(重鎮?)”となっているわけだ


劇中にも出てくるが当時芸能界の中心地であった 『 東京 』 は本物志向の人たちにとっては“田舎者の集まりで最高に芋な街”だったらしい。音楽やファッション、それ以外のサブカルチャーにおいても当時の横浜は群を抜いていたわけだ

ベトナム戦争が終わる頃まで横浜・本牧にはアメリカ軍の施設や住宅が数多く立ち並ぶいわゆる“フェンス越しのアメリカ”なるものがあり、その周辺の繁華街も兵隊等の軍関係者が溢れていて今からは想像も付かないほ荒々しい街だったようで...

その日本にやってくる兵隊のおかげで次々と海外の最新の文化が流れ込んで来たわけです。そしてそれは“東京経由”のお坊ちゃん・お嬢ちゃん向けの物とは違いダイレクトな、ストレートな代物だったんですよね


まぁ実際タイムリーな世代ではないZUYAさんが長々と語ってもしょうがないが、ゴールデン・カップスが日本の音楽史(特にロック史)に残した功績はあまりにも絶大で、日本のバンドの金字塔であると言い切れるだろう。それは本映画の中における色々な人たちのインタビューからもわかる

“芸能界”と言う枠に入ってしまい一般的には単なるGSの一つと思われがちだが、表向きに発売されていたアルバムや楽曲などではなく、彼等の真骨頂は彼等のやりたい曲しかやらなかったステージの上にあったようです


今となってはその生のステージを体験することは出来ないが、この映画はその補習には持って来いの作品ですな。ZUYAさんが今まで幾度となく師匠に語られてきた“不良の定義”なるものもようやく理解に近づいた


ZUYAさんがしばしば思い出すのは、日本の誇るギターリスト・佐野行直氏(ex.スペース・サーカス~クリエーション)との最後にお会いした時の会話、

『 大沢さん( ← 師匠)のディープさを理解することはそんなに簡単なことではないぞ 』


確かに深い




ちなみにこんな風に届きましてね ( ↓ )






返却も簡単そう