なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

こんな時もあるさ、生きてるのだから...

2021年03月31日 | Music & Life 

日帰りでも良いので

旅に出たいのですが

(目一杯遊んでしまうと)

翌日の仕事が不安で...

もうちょっと慣れてからかなぁ

 

2021.3.29. たまたま撮れた面白い写真

 

おはようございますZUYAさんです

昨夜は久々(なのか?)の自棄酒...記憶が途切れ途切れなのですが、帰り道にコンビニで購入したと思われるありえない量の菓子パンを目の当たりにすると、結構な酔いであったことは想像に難くないです

昨夜は(ZUYAさんの収入上)月に一度だけの楽しみである寿司屋へ。暖かい一日でしたので先ずは瓶ビールで喉を潤わせてから、キープしてある米焼酎ボトル 『たる繊月』へ。予想に反して“2/3”も残っていたのは嬉しい~

 

 

お通し、冷やっこ、鯖の塩焼き、カンパチとイカの握り各2貫、そして〆の鉄火巻。お会計は3,000円ちょい。個人的には全然回転寿司店で呑み食いするより良い。って言うかこの店に通い出して2年、回転寿司店には全く行かなくなりましたね 

そぉ、ここまでは記憶がはっきりしているのです  

※「しゅうにゅう」と打ち込んで変換したら、最初に「週乳」と出ました...P.C.にお酒をぶっ掛けたのかと思いましたよ。なんか最近変換機能がおかしいのですが、どうすれば良くなるのかわかりません

 

 

最近、CDプレイヤーにElvis Presleyのアルバムが入れ替わり立ち代わり入っています。ZUYAさんがエルヴィスを初めて聴いたのは、高校生の頃だから1980年代。もちろん彼はもうこの世にはいませんでした。当時は50年代のエルヴィスに夢中でした。云十年経って五十路手前で“マイ・ブーム”が起き、後年のエルヴィスを連日聴き漁るとはね~

先日チラッと書いた「American Trilogy(アメリカの祈り)」。この曲はテキサス州生まれのミュージシャン、Mickey Newburyが、19 世紀のアメリカの3つのトラディショナル・ソングをメドレーにして1971年に発表した曲。エルヴィスも気に入っていたようで、晩年のライブのレパートリーでは定番でしたね

ZUYAさんがこの曲の存在を知ったのは、Paul McCartneyが1989年から行った「Get Back Tour」時に本番前のサウンド・チェックの時に頻繁に演奏していて、イタリア・ミラノ公演(だったはず)だけ本番で演奏され、それがCDに収録されていました~

当時発売されたライブ盤。何故か2枚組の方には収録されず、1枚に編集された「ハイライツ!!」の方にだけ収録(ポール得意の販売作戦か!?)。ちなみにZUYAさんは、こちらのシングル盤で持っています~

 

エルヴィスの話に戻ります。この曲は全編を通して素晴らしいと思います。途中でフルートのパートがあります。“ロック・ミュージックにフルート!?”と思われる方もいらっしゃると思いますが、Jethro Tull(ジェスロタル)やTraffic(トラフィック)と言った辺りでも有名ですからね~

1973年、全世界に衛星生中継されたエルヴィスのハワイ公演。本番でフルート奏者がミスったと言う話を聞きますが、ZUYAさんは特に悪い印象は持っていませんけどね。そう言えば最近フォローさせて頂いているブロガーさんでプロのフルート奏者がいらっしゃいます~

さてこのブログは午前3時から休み休みダラダラと書き始めて、現時点で珈琲は4杯目、5枚組のCDは2枚目途中(vol.5から逆に聴いています)

 

 

冒頭の話に戻りますが、最近ちょっと旅に出たい気分なのです。が、もう2ヶ月半になるのにまだ身体が(新しい仕事に)完全に慣れていないので、どうも1日目一杯遊ぶ気にならないのです(翌日に差しつかえる不安...)40代後半で新しいことを覚えるのは大変です

なので今年は休日はいつも半日だけ外出、後半は家で音楽を楽しんだり作り置き出来るオカズを仕込んだりして過ごしてばかりです。お酒は次の日(朝が早いので)に支障を来さないように昼から飲んで夜は控えめ...

以前とある居酒屋さんで“自分で起業するなら50までに動いた方が良いですよ”と言われたことがありますが、今なら仰ることが良く分かります

でも音楽活動再開なら...と模索中(先日も強く勧められましたからね~)。本当は昨年から復活予定で髪を伸ばしてダイエットまでしたのに、まさかの流行病でライブ・スポットがことごとく閉鎖されてしまいました。出腹を...いやいや出鼻をくじかれたわけですね 。そして今年は部署異動でヘトヘトな日々...早く仕事を完璧に覚えて無駄に体力・知力を使わないようにしないといけませんね~

 

 

 

さて夜明けが近づいて来ましたので...

もう一つ話を書いて終わりにしますね(まだ書くのかよ~!

 

ZUYAさんが育った大阪のとある町は奈良県との県境。家から10分も歩けば山に向かってなだらかな坂道になって行くような所です

先日、某ブロガーさんが「宝塚ファミリーランド」をトピックにされていました。遊園地は夢のある場所ですが、ZUYA家にとって、それは“そのまた夢”でしたね。代わりに両親に仕込まれたのが「寺社仏閣巡り」

まぁ今となってはこちらの方が有り難く思えるのは不思議なものです~ 

ZUYAさんはいわゆる近鉄(近畿日本鉄道の略)沿線で育ちました。近鉄が経営していた遊園地は当時、北から「あやめ池遊園地」、「生駒山山上遊園地」(共に奈良県、後者は今もある)、そしてZUYAさんの住む市内にあったのが「玉手山遊園地」
 
玉手山遊園地はいわゆる小学校低学年までを対象とした遊園地で、遊具、アトラクション、ステージ・ショーに至るまで全てが小型(縮小)版
 
昔、一斉風靡したゴレンジャー等のいわゆる戦隊ものでさえも、予算の関係で“一人だけ”とか(笑)。唯一の売りは“本でいちばん長い滑り台”だったような。でもこれもまた途中で(おそらく安全のため)2回ほど、平らになる部分があった“パチもん”でしたね~
 
ZUYAさんは中学生の頃は“秘密の入口”からよく入ったものです(※ご想像にお任せいたします)
 
 

 

当然、当時の遊園地の写真はありませんので、それを思い出した現在休園中の六義園の塀の写真を載せておきますね

 

さて皆さま、まもなく夜明けを迎えます

 

Have A Good Day,Folks!