なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

師走になると...

2024年12月03日 | Music & Life 

どん兵衛論争、再び...

 

以前にも書きましたが

東京育ちの家人に

「どん兵衛」を頼むと

必ず“そば”を買ってきます

 

大阪で育った小生は

どん兵衛と言えば

“うどん”なのです

 

ええ学んだので

余計なことは言いませんがね...

 

 

※今回は駄文で長文です。お時間のある時にお読みください

 

こんばんはZUYAさんです

先週の活動的な休日(伊豆への1泊旅行)と打って変わり、今日は家でもそもそと過ごしていました。とりあえずは例の歯の問題は気にしないようにしていますが...

 

公休日初日。家人の出勤を見送った後は、とっくに送られて来ているライブで演奏する楽曲のリストと音源を、ようやくチェックすることに~ 

 

んだよ...これ...

ブルースなんか

やってねぇじゃんかよ...

 

高校時代の同級生とその兄のユニットを手伝うようになったのは、2年前かな。今回で4度目になります。“ブルースや古いロック(60年代)のカバーを演奏する”とのことで、ベース・ギターでのサポートを引き受けて来たのですが、だんだんと70年代ロックとかも入って来て…

でもさぁ、今回の「OASIS」は無しだろうよ...

 

          

 

 

気分転換に裕也さんのアルバムでも聴こう~

1973年のアルバムです。本作にはサポート・メンバーとしては豪華すぎるほどのメンバーが...ジョー山中氏、井上大輔氏、尾藤イサオ氏、そしてZUYAさんの師匠も含めたクリエーションの面々

インナースリーブにある、この写真は実に貴重ですぜ~ 





裕也さんが逝ってもう5年近くなるのかな。その風貌や行動、発言ばかり面白おかしくマスコミに取りだたされていましたが、内田裕也氏のカリスマ性は並々ではなく、この人の存在なくして日本のロックの歴史は語れないし、発展はなかったと言っても決して過言ではありません

まぁその意志をどれぐらいの数のミュージシャンが引き継いでいるかは、わかりませんがね

 

          


聴いたこともなければ聴く気にもならない音楽をやると言うのは実に苦痛なものです。でも結局ですねぇ、世の中の一般的な仕事と同じで、継続する(お金を得る)には好まない業務もしないといけないと言うわけですよ

いわゆるメジャー・デビューしたバンドの中にも純粋に音楽だけしたいけれど、“タレント”みたいなことを事務所から強要(時にはやんわりと...)させられるわけです。でもそれが“飯を食う”と言うことなのでしょう

あの「母に捧げるバラード」でヒットした武田鉄矢擁する海援隊。73年の12月に発売されたそのシングル盤は、翌74年のレコード大賞で企画賞を獲り、同年の紅白歌合戦に出演することになりました(あれ?ZUYAさん...あなたは一体何歳なの?)

ところが翌75年の大晦日には、彼は生活に困窮し夫婦で食堂か何処かで洗い物のバイトをしながら、流れて来る紅白の放送を聞いていたとか。そんな時期は、巨匠・山田洋次監督に77年の映画「幸せの黄色いハンカチ」で抜擢されるまで続いたそうな

 

話がずれましたが、この兄弟バンドのサポートを引き受ける時は、ギャラは“飲み放題”と言うことにしてあります。どうせ僅かばかりの謝礼を貰ってもお酒に消えますからね...

でもバイト時代は、バイトを休んで仕事を取るわけだからそうはいきませんでしたね。ちゃんと現ナマを貰わないとね。今は有給休暇を使って休むから、マイナスにはなりませんが...

 

          

 

さて師走に入り、ZUYAさんの堅気の仕事は忙しくなる一方でございます。昨年までは“肩書き”がなかったのでただ大変なだけだったのですが、いまやその大変さを自分の部署に所属するスタッフのために、どれだけ軽減できるかを考えないといけません

ところが...上司共が揃いも揃って馬鹿で馬鹿で...まぁ休みの日ぐらいは、そのことを忘れて過ごしたいものです

 

マヨネーズの会社に身売りされて1年以上が経ってから2回目の年末を迎えるわけですが、特段良くなった点は何一つありません。ZUYAさんはとっとと別の世界に行きたい(生きたい)のですが、認知症の父の件も大きな変化はないまま...“余命1年”の話はどうなったのだろうか

今の職場は一応10年近く働いていますから幹部連中にも顔が効くので、よっぴきならないことが起これば実家で独りでいる母のために大阪にすっ飛んで行けるのです。でも今、転職してして、“休ませてください”は残念ながら日本の社会では通じませんからね

そう言えば1番最初に就職した家族経営の折箱屋。入社後1ヶ月で黎明期の裁判員裁判の陪審員に任命されたのですが、社長に“断りなさい”と言われましたからね、そう言うわけなのです... 

 

          

 

さてさてあの暑かった夏は何処へやら。ようやく訪れた秋もいるのかいないのかよくわからないまま、冬になろうとしています。ご存知の通りZUYAさんは遠い昔にカナダに住んでいましたが、その時の“秋の短さ”を思い出します...(まぁ冬の寒さが違い過ぎますがね)

さて12月ですから、いつものあれをそろそろアナウンスしておきましょうかね。長くフォローして下さっている方々には定番ですが(最近フォローし始めてくださった方のために...)、当ブログの目玉の一つである 「七味五悦三会」

これは江戸庶民の風習で大晦日にその年を振り返って、

7つの美味しかったもの

5つの楽しかったこと

3つの良い出会い

があれば、その年は良いものであったと考えるものです

 

ZUYAさんはかれこれ20年ほど、これを意識して年の瀬を迎えています。毎年今頃の時期に一旦考えてみて数が足りなそうなだなぁと思ったら、駆け込みを始めます(笑)。そうこの「七味五悦三会」と年始の「浅草寺のお御籤」はZUYAさんの生きる指針なのです。そう言えば...ZUYAさんは今年は後半に巻き返しがあるとのお告げがあったはずだったけど...

まぁぜひ皆さまも、七味五悦三会を楽しんでみてくださいませ~

 

 

さて今日は一日ほとんど自宅でした。お昼にちょっと歩いた西ヶ原にある老舗の「杉山寿司」へ。五目寿司と夕飯用におにぎりを購入。こちらのおにぎりは、流行の坊ちゃん嬢ちゃんの作るおにぎりなんか目じゃない美味しさなのです。そしてその後はコンビニ等によって、自宅ランチ用に...

明日はちょっと歩かないといけませんね~  

 

 

先日、家人の伯父が亡くなりもう高知から色々贈り物が届くことはないのだろうなぁと思っていたら、その葬儀の後もずっと滞在している義母が怒涛のように野菜、お菓子等々を送って来てくれました。今夜は先ず、サツマイモを人参とがんもと一緒に煮ました(手羽元は昨夜家人が作ったもの)

そしてZUYAさんは先に、開栓...

 

 

 

 

 

Have A Good Night,Folks!



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2 コメント

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Unknown (charlottemichigan)
2024-12-03 07:45:03
おはようございます☀️

「みはら」の3文字情報だけで、
zuyaさんはどぶろくも飲まれるのね、とw

年末(私はそのちょっと手前の学期末ですが)までお互い身体に気をつけてぼちぼち頑張りましょうね😂
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charlottemichiganさんへ (ZUYA)
2024-12-03 08:06:01
おはようございます

どぶろくを買ってまでは呑みませんが、美味しく頂きますよ(ちなみに「みはら」は2度目です)

流石に“はちきん”の義母。60年以上東京に住んでいるのに、高知いると血が騒ぐのか、狂った量の宅配の箱が届きました...

野菜だけでも5家族分、芋ケンピ等のお菓子でもその倍ぐらい...まぁお菓子は家人の施設で消費出来ますけどね

ちょっと久々に頭を使わないといけない師走になりそうです。その前に痩せないと...
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