最初に書いておきます
母は健在ですから~
こんばんはZUYAさんです
日々、稚拙なブログを書き綴って幾年月...お陰様で男性陣においては同世代から自身の父親世代まで、女性陣は小生よりも少し若い世代から自身の母親世代まで実に様々な方々がフォローして下さっていることは感謝の言葉しかございません(特にお姉さま世代が多いのは何故かしら…)
そしてコメントを残さないまでも頻繁にブログを覗いてくれたり、思い出したように来て下さったり、そして有難いことにはコメントまでして下さる方々には本当に感謝しかありません
※なんかブログの最終回のような表現が続いていますが、安心してください!
さてさて、ZUYAさん兄弟は各々東京に家庭を持ち、両親だけが我々が育った大阪の家で暮らしています。何処の家庭でもそうでしょうが、生きていれば色々あった(ある)わけです。ええZUYAさんも色々ありました。家庭崩壊してもおかしくなかったのに...
それでも小生を産んでくれた母親です。ZUYAさんは大して立派な人生は歩んでいませんが、幸せか否かと言えば幸せなのだと思います。フォローさせて頂いているブロガーの方々の中には、親御さんを亡くされたり親御さんの介護をされている方、そして親御さんがご健在で交流の仕方等々、とても参考になっています
“来たるべき日”が来る心構え(気の持ちよう)が知りたくて、フォローしたブロガーさんの中には今では当ブログにおいて欠かせないコメンテイターになってくださっている方も~
何でこんな話を書いているかと言いますと、今日ふと子供心を思い出すキッカケがありました。ZUYAさんの近所に一軒だけ残る本屋さんがあります。今年1月にジェフ・ベックが亡くなった後、とても多くの追悼の雑誌が出ました。でもZUYAさんは一番好きなシンコーミュージック社のそれを予約し心待ちに待っていました
その本が本日入荷して、受け取りに行ってきました
ええ多くの方々が経験があると思いますが、定期購読している書籍の発売日や取り寄せをお願いした本が来る日を本当に心待ちにしていましたよね。最近はみな口コミやら評価やらを読んで、ポチッとして終わりです
書店における印刷物の匂い、手に取った時の重み、そして何よりも本を愛する店員との会話...何でもかんでも新しくしないで欲しいものです。古き物が悪しき物とは限らないのです(アルテイシアも言ってましたね~)
ZUYAさんが幼少の頃、母親は近所の小さな書店でパートで働いていました(今考えれば酷い時給でした...)。幼稚園やら学校やらが終わると母に会いにその書店に行きました。店主夫婦がよく余った付録をくれました(それより母親の時給上げろよな!)
最近(中国地方にお住いと思われる)とある方のブログを読んでいると、心が度々キューンとなります。それは恋でもなく...なんて言うのかなぁ...“切なくなる”と言うのか“儚い”と言うのか、“在りし日を思い出す”と言うのか...
こういう心理状態の時に観てはいけないのが、海援隊の解散コンサートにおける「母に捧げるバラード」。歌詞を噛んでしまうところもあるが、そんなの関係ねぇ~
最近のションベン臭い小僧小娘シンガーなら歌い切れないでしょうが、ガーサスの金ぱっつぁん、いやいや武田鉄矢氏(もちろん百恵ちゃんの最後のテレビ出演、ライブも凄いけどね~)
興味のある方はどうぞ~ → https://youtu.be/B9mHBYtvw6I
そして、やはり加山雄三(母も大好きです)の「海 その愛」。この曲も母を感じます
興味のある方はどうぞ~ → https://youtu.be/NBHarWRG6RI
ちなみに「おふくろさん」と言う曲には全く何も感じません
でもねぇ一番できなかった親孝行は、やはり孫の顔を見せてやれなんだ。それは一生ZUYAさんの心の傷として残るやもしれない。でもそれは本当は傷ではなくZUYAさんの生きた証、最近そう思いますよ
皇族だけの問題かと思っていましたが、長兄のところの娘2人は嫁に行ったので、ZUYAさんの一族の名前は我々の世代で終わることになるわけです
だ~れのせいでもありゃしない~♪♪
ええ、別に誰にも謝る必要もないけどさ~
なんか珍しく(ない?)センチメンタルなブログとなりました。いや酔ってるだけかな~
またお会いしましょう。明日も皆さまに素敵な日が訪れますように~
Have A Good Night,Folks!
ですよね。
我が家、息子は居て、名前は引き継がれますが、きっと、英語で引き継がれていくでしょう(日本に帰る意思は今のところなし)。
義父さんが新しく建て直したお墓は、アタシたちの代で終わるのかもしれません。
何をどう考えていいのかわからず、現実逃避したままです
その時はその時!でしょうかね
「生きる」と書いて「苦しみ」と読む。
生きることは苦である。
だからそこ、ささやかな事が煌めくのであり愛しく思えるのかもしれませんね。
ファストファッションの低価格のお陰で、誰もが”同じ”ように見える装いが出来るせいか、皆が同じである事が当然だと思っているようです。
誰もが隣人と同じ体験や経験が出来ると思い込んでいる。
ある先生が仰っていました。
「私達は幸福(と思えること)を願うもの。辛さ苦しみを体験したくないと思うもの。それが自然。
ただ、本当に辛さや苦しみをすべて無くすとしたら、それは人生が半分になるということだ」
ここまで達観は出来ませんが、深く心に残りました。
雨の日のパンツの泥はね。
これも人生の味わいかしら?と思えばいとをかし。(ムカつくけれども!)
と言うわけで、兄ラブ💕な高齢の母に付き添って、兄褒めを延々を聞きながら、母と病院に行って参ります🏃💨
ZUYAさんもお仕事ファイトー!
葉月
今回はリコメントはご容赦くださいませ
今回はリコメントはご容赦くださいませ
おはようございます。
こちらこそ、少し過ぎたコメントだったように思います。
お差し支えなければ、このコメントともども削除頂けますでしょうか。
いつもありがとうございます。
葉月
素敵なコメント(一投目)ありがとうございました。わざわざお気遣いくださってありがとうございました(二投目)
ただのボヤキ、自身の心の中で現在もがき続けている事象を整理しようと書き出した本文。内容的にも薄く(実際少し酔っぱらって書いていたので)消すとしたら本文ですよ
そこへ思いもよらぬ真摯なコメントが書き込まれたために、ああいう逃げ方をしただけです。謝罪するのはこちらの方です
何度も書いていますが、今年は節目の年齢でして、頭をフル回転させて“流れ”を見ている、読んでいる最中です。もちろんまだ若いと言えば若いのかもしれませんが、今回動きを誤ると修正が難しいこともわかっています。で、ちょっと思っているがままに綴ったところ…
家人の手前、大っぴらには書けないのですがやはり子供がいないのは私は寂しいと感じる時があります(以前にも励ましのお言葉を葉月さんに頂いたかと)
ただ今回は“いないからこそ、動きやすい”とも考えられると本文の中に書こうとしたのですが...言葉足らずでした
そんな訳です。余計な気を使わせてすいませんでした 。
ちなみにうちの父は自慢は長男のみ。後の2人は...